10月13日(日)JRハイキング(好評おとちの岩窟秋コース) 敗者石田三成が再起をかけて潜伏した岩窟を訪ねる

毎回人気のコースですが、前回4月は雨のため参加者が半減、今回は秋晴れの下30名の参加者で賑わいました。中には前回に続く参加のリピーターの方や前日の行市山に続く連続登山の強者の方も。今回の行程は木ノ本駅から徒歩で登山口を目指し、まず浄信寺を経て通り抜けるのが「アットリトンネル」。難読地名の漢字を避けて最近はカタカナ表記にもされています。約1時間で登山口に到着し、注意事項などを確認していただく。そこから尾根道を登ること約1時間半で目的地のおとちの岩窟に到着。この岩窟の入口は狭く、ちょっとした冒険心が必要ですが、ほぼ全員の方が岩窟の中に入って三成公が一時潜んだと伝わる雰囲気を追体験し満足感に浸っていただいた。昼食を済ませ、帰りは林道を目指して下山。己高山寺院群の跡などを確認し、鶏足寺から石道寺の参道を通り井明神のバス停へ向かう。ここは来月には紅葉で賑わうルートなのですが今は青葉の静寂に包まれていて、これもまたなんとも言えず良い雰囲気だ、と参加者からの感想が漏れ聞こえる。予定のバスで15時30分過ぎ無事木ノ本駅へ到着。今回は少し長い距離となりましたが皆さん快い疲労感で帰途につかれました。

アットリトンネルを通過(新檔鳥坂トンネルが正式名称です)
登山口で諸注意事項を確認
登山道入口 暗闇ではありません
おとちの岩窟へ到着 三成公にまつわる伝承などに聞き入っていただく
いざ岩窟の中へ! 勇気をもって潜入します
三成公潜伏の追体験を終え、笑顔で記念写真
林道へ下山し、己高山寺院群跡などの解説にも関心高く

10月12日(土)JRハイキング 柴田勝家方佐久間盛政の砦跡へ  賤ヶ岳古戦場の最高所、行市山を訪れる

長かった猛暑も過ぎて涼しい秋晴の朝を迎えたこの日、25名の参加で木ノ本駅を出発。 行市山への登山口は毛受兄弟の墓所「毛受の森」です。ここは地元集落の墓地でもあり、旧余呉町のシンボル木のトチノキが植樹され、足元には落ち葉とトチの実がいっぱいの中、登山の行程、毛受兄弟物語りの概略などを解説して入山。登山道は大体緩やかな稜線で、中谷山砦跡、別所山砦跡などを見学して進むと、設置されたロープにつかまりながらの急坂の難所が1か所あります。ここを注意深く登りきると最初のビューポイントに。伊吹山、小谷山を遠望し、その手前には田上山、堂木山など秀吉方の砦跡を見て戦場に想いを馳せる。やがて佐久間盛政砦跡で郭、堀切などを確認し行市山山頂に至ると再び戦場一帯を見下ろす景観に歓声が上がる。ここで昼食、記念写真を済ませ、下山はうって変わって足取りも余裕をもって進む。途中の立ち寄り所は林谷山砦跡。ここが毛受兄弟達が立てこもって秀吉方の猛攻撃を食い止め、勝家脱出の時間を稼いだ身代わり大作戦の激戦地で、兄弟の忠臣振りにいたく感動した秀吉が手厚く葬らせた墓所は元はここにあり、その後毛受一族を家臣に迎えたと伝わります。柴田方砦群は主戦場が余呉湖畔へ移ったこともあって守備隊の伝承などに不明な点が多いものの、最近は戦国ファンの注目度も高まり、どうしても来たかったという神戸や東京からの参加者もあって帰路のバスは満足感一杯で木ノ本駅に帰着しました。

毛受の森で行程等の確認 毛受は「めんじゅ、めんじょ」と読みます
登山道は大体緩やかな稜線 案内板も随所にあります
登山入口
砦跡の土塁、堀切などの遺構を確認
ここが唯一の難所 ロープにつかまって慎重に登ります
行市山山頂で記念写真
山頂からの展望 伊吹山、小谷山にその手前に田上山砦などを見下ろす
追録 当日はこんな倒木も切断整理しました
追録 事前下見で倒木を整理しました

10月5日(土)JRハイキング (秋の風情を現地で楽しむひととき)栗狩り体験で秋本番を実感しよう

厳しい残暑も一息ついた気配の河毛駅に定刻に集合の筈が、京阪神方面からの下り電車が1時間遅れとのアナウンス。やむを得ず上り電車の参加者だけで出発して、翌日に控えた小谷戦国まつりの準備に忙しい小谷城戦国歴史資料館前広場を見学後、戦国ガイドステーションで下り電車の参加者と合流して昼食。ここが巨大兜モニュメントのある小谷城址入口で、私達ガイド協会の事務所がありますのでさりげなく日頃の活動を紹介して小谷寺へ向かう。この寺は如意輪山小谷寺が正式名称で、ご本尊は如意輪観音様ですが日頃は秘仏として拝観できないためガイドの解説で我慢していただく。そのためご開帳時にぜひ拝観したいとの声も。森閑とした参道脇には少し遅れのヒガンバナが満開の彩を添える中を一旦河毛駅へ戻る。そして本日のメインイベントの栗園へ。落ちるイガに当たらないよう、下を向いて落ちているイガを拾いましょうと言うアドバイスで「20の瞳」が一斉に輝く。はじけたイガから少し顔を出す茶色の栗を次々と取り出し、「栗ご飯に」「栗きんとんに」など思わず言葉が出、賑やかな栗拾いの醍醐味を満喫し、手に手にお土産を持って満足一杯で駅に帰着、解散となりました。思わぬアクシデントのスタートで一部行程変更がありましたが、好天に恵まれ楽しいハイキンができました。

童心に帰って一生懸命にイガをむく
沢山手にして、まだなっているかな?
小谷寺で記念写真 ご本尊を拝観できなかったものの霊場の雰囲気は満喫

10月1日(火)地元再発見の会参加者募集のおしらせ

当ガイド協会企画のハイキングなどには、京阪神、中京方面など主に遠方からの参加者が多いのが実情です。ご案内する立場としては地元の方々にも参加いただき、地元の良さ、歴史などの再発見をしていただきたいと考え、このたび下記の通り賤ヶ岳、木之本宿、小谷城跡の3か所を選んでご案内する企画を実施することといたしました。ぜひご参加くださいますようご案内いたします。

9月25日(水)トピックス 淡海観光ボランティアガイド連絡協議会の            湖北ブロック交流研修会が行われました

本年度の湖北ブロック交流研修会が米原観光ボランティアガイド協会の主催により行われました。長浜市と米原市の3つのガイド協会員74名が山東学びあいステーションをメイン会場に旧山東町内の史蹟を巡る研修に参加しました。開会に先立つアトラクションとして詩吟朗詠錦城会の皆さんによる「郷土の英傑 石田三成」と題して、三成公の生涯と西郷隆盛による賛辞の詩が朗々と詠じられ会場を魅了しました。続いて開会に移り、米原市と長浜市のご来賓の祝辞、会長挨拶、活動報告の後は記念講演会として伊吹山文化資料館の高橋順之学芸員による「上平寺城と伊吹山」と題した、本日の研修コースにピッタリの内容で事前勉強することができました。昼食の後は2台のバスに分乗して現地研修です。いずれも近江ゆかりの武将、京極氏にまつわる史跡である上平寺城跡と清瀧寺徳源院です。京極氏はこの城を拠点に一時湖北の雄として君臨しましたが、その後の戦乱によりその地位を失ったものの、家系は各地に脈々と続き、特に関ヶ原合戦で徳川家康の信任を得たことで江戸時代には大名として存続し明治に至りました。その家系は宇多天皇を始祖とする千年に及ぶ系譜を誇ります。この京極家の菩提寺が徳源院です。境内には歴代当主の墓標の他に、バサラ大名として知られる京極道誉手植えと伝わる桜の古木や三重の塔、「幽霊の掛け軸」もあって見どころは一杯。大名気分で座敷からきれいに手入れされた池泉回遊式庭園を眺めて、ご住職による京極家物語に耳を傾けて研修を終わりました。

会場
研修先のパンフレット
資料集
上平寺城跡入口看板で
上平寺城内の庭園跡で解説を聞く
徳源院 座敷から庭園を見ながら京極家物語を聞く
その庭園がこちら
徳源院 道誉桜の古木
徳源院 木立の間に立つ三重塔

9月16日(祝)JRハイキング (賤ケ岳合戦の秀吉方最前線の砦跡を巡る)堂木山砦、神明山砦、茂山の攻防を偲ぶ

出発直前には目的地の山並みが白く雨模様になるもののミストシャワー程度に終わり、曇り空の下、猛暑はひとまず和らぐ中を堂木山砦を目指す。参加者32名の大半は戦国ファンで山歩きより砦巡りに期待が集まる雰囲気の中、ガイドの解説にも気が抜けないプレッシャーが。蒸し暑い道中も鳥打山の切通しに到着。小休止の後まず堂木山砦跡に登り、現地の測量図を参考に広い砦跡を見て回る。続いて神明山砦跡へ向かう。途中にある送電塔下からは柴田方陣営も見渡せる眺望を楽しむ。神明山砦跡では遠方からの早朝出発の方もあって、少し早めの昼食をとる。昼食後は合戦の最前線の砦群で行われた前哨戦の解説を聞いていただく。この砦群は合戦の主舞台とはならなかったものの、秀吉方守備隊山路正邦への調略と離反があって、戦局が大きく動くきっかけとなりました。ここから先が前田利家、利長親子が布陣した茂山へと続くが、この所在地が明らかではなく、ここら辺りと推定される平地で進駐と離脱のドラマを聞いていただく。戦乱の中での離脱は容易ではなく、殿(しんがり)として秀吉方の攻撃を一手に引き受け戦死した横山長隆の子孫はその功績により代々加賀藩の重臣となったのです。この離脱の道を辿って権現峠付近の林道との合流点に到着し、ここからの下り坂が山道であるもののれっきとした県道なのです。到着した余呉湖ビジターセンターで冷たい飲み物などを補給し、予定より早い電車で帰路に就いて頂くことができました。

田園地帯を歩いて登山口へ
余呉駅前で行程の確認と準備体操
広い堂木山砦跡を隈なく散策する
砦間の稜線を行く
神明山砦跡で記念写真
追録1 解散後一部の参加者と横山長隆公の墓所を訪れました
追録2 有志により事前に登山道の倒木整理と草刈りを行いました

9月14日(土)JRハイキング (浅井、朝倉VS信長、家康の激戦地へ) 姉川の土手を歩き姉川古戦場を巡る

集合場所の虎姫駅前にはその名前の縁からの虎神殿が祀られ、阪神タイガースファンの崇敬篤い(?)聖地でもあります。連日の猛暑で参加者は13名となりましたが、元気に駅を出発。道中はそよ風の吹く中、サルスベリやカンナの花々に癒されて国友鉄砲の里に到着し、戦国時代国内最大の鉄砲生産地の歴史を学び、吉川英治や司馬遼太郎の文学碑も点在する街中を散策する。ここから「ちはら公園」に着いて木陰で昼食とする。ここは、朝倉、徳川両軍が激闘を繰り広げ、真柄十郎左衛門が使用した血刀が地名の起こりとされ、姉川古戦場碑などを見学して激戦を偲ぶ。ここから野村橋を渡り家康本陣の岡山に至る。ここは江戸時代に勝山と称して家康の勝利を讃えたとされます。信長が陣太鼓を掲げたと伝わる陣抗の柳を過ぎて臥龍山系の最北端の龍ヶ鼻へ登る。ここからは古戦場全体を見渡すことができ、姉川を挟んで対陣する両軍の布陣が見えるような感覚に浸る。この山の麓は浅井長政方の猛将、遠藤喜右衛門が信長の陣営の奥深く切り込んで打ち取られたとされる所です。戦場を散策した後は涼しい北郷里まちづくりセンターで休憩、古戦場ゆかりのグッズやパンフレットを手にして路線バスで長浜駅に到着、解散となりました。

国友一貫斎宅前で
木陰の姉川の土手道を行く
七尾山を望む
史蹟 姉川古戦場で

8月25日(日)JRハイキング(地蔵縁日でにぎわう木之本宿をゆったりと)         古い町木之本探訪

小学生1人を含む37人の参加者が木ノ本駅に集合。地蔵縁日も本日が最終日で、夜にはフィナーレを飾る大花火大会も。多くの露店で賑わう街中へのワクワク感を少し我慢して頂いて宿場町の歴史などの案内へ。まず駅前の昭和初期のレトロな雰囲気が残る江北図書館の外観を見て、建物内部の書棚なども見学し懐かしい本を発見して感慨に浸る方も。次に街中へ出、賤ヶ岳、牛馬市の解説を聞いていただく。牛馬市は戦国武将の山内一豊が良馬を買い求めたこと、この資金が妻千代のへそくりであったこと、それにより信長の覚えが良くなり出世に繋がったエピソードなどを披歴する。木之本宿巡りの入口は古い歴史の山路酒造で、ガイドの祖母はここの名酒「桑酒」を愛飲して健康に天寿を全うした話も。ここから坂道を登り意冨布良(おおふら)神社に到着。ここのご祭神の一座は梨津臣命で余呉湖羽衣伝説と藤原氏のルーツにも関係するガイド得意の話を熱く語るが、一部には首をかしげる人も。いよいよ縁日で賑わう地蔵院へ到着するも、猛暑で日中を避けているらしく意外にも人出は少なめで、本堂にお参りして地蔵尊の由来や奉納蛙の話を聞いていただき、旧本陣薬局、富田酒造や街並み見学の予定が、道端は露店で一杯のため避暑を兼ねて木之本交遊館で小休止。最後は地蔵坂から轡の森で羽柴秀吉ゆかりの伝説など説明しきれなかった話をふんだんにして13時に解散。ここから自由行動で、縁日の散策と買い物を楽しむ方や昼食会場の木之本塾へ向かう人も。塾とは言うものの勉強ではなく手打ちそばなのですが、これが好評で塾スタッフもにっこりのハイキングとなりました。

江北図書館 設立以来民間の力で運営されてきました
意冨布良神社で 木之本の町民の厚い信仰と財力が感じられます
大縁日で賑わう浄信寺で シンボルの地蔵大仏の足元には眼病平癒を祈る身代わり蛙が奉納されています
轡(くつわ)の森 路地裏ですが地蔵坂の賑わいがウソのような雰囲気です
昼食会場の木之本塾 手打ちそばが好評でスタッフの手さばきにも力が

8月17日(土)JRハイキング(賤ケ岳合戦柴田勝家渾身をこめた地)山城の傑作、玄蕃尾城跡を訪ねて

台風7号のもたらす北風のため天気予報は芳しくないものの、人気のコースとあって京阪神、県南部等から26名の参加があり、木ノ本駅から路線バスで柳ケ瀬バス停に到着。ここからの道は一部に急斜面があるものの旧街道のため概ね緩やかで、朽ちた電柱も見られ往時が偲ばれます。期待に反し風が弱く蒸し暑い中を小休止を挟みながら倉坂峠に近づくと心地よい風も吹き抜けました。ここから急坂を登り切り城跡に到ると、まず虎口で防御の構えを体感し、そこから深い空堀、土塁、土橋跡など戦国築城の粋と言われる全体像を見て回る。この城跡は続100名城の中でも特に行きにくい立地のため、ぜひともここへ来たかった、来てよかったとの感想も。主郭、櫓台跡で昼食後は敦賀市側登山口へ一旦降りて続100名城スタンプとパンフレットを頂き、この頃一時的なミストシャワー並みの雨で気温も27度程度に低下する中、来た道を柳ケ瀬集落に下山。ここにはアメダスも置かれ、江戸時代の関所門と明治天皇行在所、旧北陸線駅跡などもあり、かつての賑わい跡を見学して予定通り路線バスで余呉駅へ帰着、解散となりました。

登山道は明治天皇も通られた道です
柳ケ瀬から登山道への解説板
玄蕃尾城跡入口の解説板
主郭、櫓跡で記念写真 城跡はきれいに整備され安心して見学できます
柳ケ瀬集落に残る関所門と明治天皇行在所の碑

8月11日(日・祝)奥びわ湖ハイキング(山の日記念事業) 史蹟西野水道と古墳群から有漏神社を目指す

連日の猛暑の中にも11名の参加がありました。集合場所の西野水道史跡公園では江戸時代の難工事を学び、新トンネルで一旦琵琶湖岸へ出て排水路の役割を確認。古保利古墳群へは日陰の林道を選び、峠の八ツ岩支群と呼ばれる終末期の横穴式古墳群を観察。続いて古墳時代初期の前方後円墳である深谷古墳が素人目にもよくわかる形状を残し、しかも琵琶湖側からしか見えない立地もこの古墳群の特徴をよく確認できます。ここから目指すのが阿曾津千軒跡地。ここは琵琶湖周辺に伝わる水没集落の伝承地の一つで、地蔵堂も祀られかつての様子を偲んでいただく。ここから湖岸に出ると奥琵琶湖の景色に歓声が上がりました。青い湖面から打ち寄せる波と澄んだ水、心地よい風に遠くの湖面を走る帆柱の群れ。この湖岸を赤く彩るのがゴマの木の群生。花に詳しい女性からの助言とこの実を試食してみる猛者もあって賑やかな休憩となりました。ここから峠道を越えて到着するのが最終目的地の有漏神社です。山梨子集落の神社でありながら正式な参道はなく、かつては船で参拝したとも言われますが、今では集落の公民館に分霊を祀られています。秘境の神社として注目されていますが、境内や社殿はきれいに整備され大切に祀られていることが分かります。ここの湖岸で昼食の後、同じコースで集合場所に帰着しました。

奥の口が江戸時代の水道出口
昭和のトンネルで琵琶湖岸へ
西野水道入口 ここへ入るにはヘルメット、懐中電灯に長靴が必要。人によっては勇気も必要です。
深谷古墳 前方後円墳の形が良く確認できます
阿曾津千軒跡地 奥には地蔵堂も祀られています
奥びわ湖の景色に歓声 ここで暫しの休憩
湖岸を彩る赤い実の木
有漏神社への峠道から竹生島方面を見る
有漏神社 湖岸の鳥居前で記念写真