10月15日(日)湖北観音巡礼シリーズ 第21弾 観音霊場を訪ねるテクテク旅

「第39回観音の里 ふるさとまつり」が15日長浜市北部地域で行われ、周遊バスツアーなどの予約は早くに埋まるなど大変な盛況で、当ガイド協会もバスに添乗してご案内するお手伝いをしました。この日は普段は開けられない各所のお堂が拝観できるとあって、当ガイド協会の巡礼シリーズも賑わう筈でしたが、バスの人気の煽りを受けて(?)参加者は8名と少なめだった半面、和気あいあいと楽しい旅になり大変喜ばれました。木ノ本駅からまずは唐川の唐喜山赤後寺へ。ここは千手観音と聖観音が祀られていて、賤ケ岳合戦では二体の尊像を赤川に沈めて戦乱から難を逃れたと伝わります。次に東高田の青陽山赤分寺へ。ここはハナノキという珍しいカエデ科の木があることでも知られ、本尊の十一面観世音菩薩は、最澄が赤川の底から拾い上げたと伝わります。他には地蔵菩薩と弁財天が祀られていて、3体ともとてもきれいな仏様です。最後に東物部の高喜山光明寺へ。ここの十一面観音菩薩も幾多の戦乱の兵火から難を逃れたと伝わります。天保年間には盗賊が入り本尊を村の外れまで運んだところで不思議にも大盤石のごとく動かれず、盗賊はそのままにして逃げ去ったという奇談も伝わります。道中では予定外の横山神社の馬頭観音にもお参りできる奇遇を得、さらに高月図書館の井上靖記念室を見学。氏の小説「星と祭」で湖北の観音様が一躍有名になった縁を偲びました。解散は門前市で賑わう高月駅ですが、参加の皆さんは更に近くの観音様拝観に向かわれるなど充実した巡礼旅の一日でした。

赤後寺
赤分寺
光明寺
光明寺
井上靖記念室
ガイド協会員も高月駅で受付のお手伝い
高月駅前の賑わい

10月14日(土)JRハイキング  (佐久間盛政(柴田勝家側)の砦跡へ)行市山から賤ケ岳古戦場を俯瞰する

賤ケ岳合戦の柴田勝家方砦跡は玄蕃尾城が有名ですが、今回は最終決戦場所でもある毛受兄弟を祀る墓所から猛将佐久間盛政が陣を置いた行市山砦までの柴田方主要ラインの尾根道を探索しました。途中には設置されたロープにつかまりながら登る急坂が一か所あるものの大体緩やかなよく整備された道です。遠方より早朝に出発されたご夫婦など30名余の砦ファンで賑わいました。行市山頂上からは麓の両軍の布陣地と己高山、小谷山や伊吹山なども遠望され佐久間盛政気分で景色を堪能しての昼食。柴田方のこのラインは強固な砦群ではあったのですが、賤ケ岳方面へ佐久間盛政が進軍し、その支援のため別所山砦の前田利家親子も進出したため両砦は使われることはありませんでした。戦局は佐久間隊の敗北と前田隊の撤退により柴田勝家の陣は総崩れとなり一気に敗色濃厚に。ここで毛受兄弟の身代わり作戦により勝家はかろうじて北ノ庄城へ敗走、という劇的な幕切れとなったのです。ファンの皆さんはその林谷山砦や中谷山砦など余すところなく探索し終え、予定通り路線バスで木ノ本駅に帰着しました。

毛受の森 毛受兄弟を祀る霊園で行程の概要を説明
地元保存会の皆さんにより道中はよく整備され、案内板も随所に
行市山頂上からの景色 伊吹山、小谷山、己高山を遠望 秀吉方田上山陣なども
各砦には長谷川博美氏作成の測量図を掲示
山頂で記念撮影 満足感で笑顔いっぱいの皆さん 気を付けて下山しましょう

10月8日(日)JRハイキング 「栗狩り体験で秋本番を実感しよう」 が盛況でした

猛暑の残暑も一転して湖北に北風が吹く季節となった3連休の中日、栗狩り体験を楽しむ京阪神方面から27名の参加者を得て坂田駅を出発。まず駅頭には戦国武将の仲睦まじい夫婦として知られる山内一豊、千代の像が立ち、近くの一豊公の母の墓所にも立ち寄り。ここにはその母がこの地で千代を見出した、との伝承が書かれています。そこから琵琶湖岸の道の駅「近江母の郷」で昼食。米原市は戯曲「瞼の母」で知られる番場の忠太郎の母の地でもありますので「母の郷」なのです。次は長沢の福田(ふくでん)寺へ。創立を古代に遡る由緒ある寺院ですが、一向一揆、元亀騒乱など戦乱の時代を耐え、江戸時代には彦根藩井伊家とも深い関りがありました。このような歴史散歩のあとお目当ての栗狩り園に到着。ここは皆さん童心に帰ってワイワガヤガヤと栗拾いで秋本番を堪能。手土産の栗も一杯に満足されて帰路につき田村駅に到着。なんとここで「湖北しぐれ」の雨。このタイミングまで見事に読んだ(?)気象予報士並みの先読みを自画自賛するガイドを尻目に、皆さんは「ラッキー、ラッキー」と喜んでそれぞれの帰途に着かれました。(この栗園はガイドの私園で営業を目的にした施設ではありません)

栗園に到着 まず注意事項を確認していただきます
童心に戻り夢中に拾います
あちこちに落ちていますね
そろそろ手には一杯になってきました

9月28日(金)トピックス 木之本町大音の歴史探訪研修を行いました

奥びわ湖ボランティアガイド協会では、各種の研修を通じてガイド能力や見識向上のための取り組みを行っています。今回は研修部会の主催により、木之本町大音の地元発見の探索を行いました。ここは賤ケ岳リフト乗り場で知られていますが、式内社伊香具神社を主に、古い歴史を秘めた集落です。集落の裏山一帯はかつて寺院や神社が栄えたと伝わる聖地で、今は林の中にその跡地などが点在しています。まず廃寺となった浄明寺の諸仏が祀られている大日堂を拝観、そこから浄明寺跡地と意太(おふと)神社へ。この神社は小さな社ではありますが、大音(おおと)の地名起源とも言われる式内社です。この後一宮神社や野神信仰の地を探索し最後は式内社の伊香具神社に参拝した歴史探訪でした。

大日堂を拝観  廃寺となった浄明寺のの諸仏を祀る
浄明寺の解説板
浄明寺跡地 シャガの季節の様子 奥に意太神社
意太神社を参拝 小さな社ですが式内社の伝承があります
伊香具神社の池など境内を散策
一宮神社 伊香具神社の祭神の尊属を祀る
野の大神の白樫の古木 地元ガイドの解説
桜の季節の伊香具神社一の鳥居と参道 ソメイヨシノの次を彩る八重桜
伊香具神社の鳥居 前後左右の稚児柱を持つ特異な形です

9月23日(土) 奥びわ湖ハイキング(小谷城攻防戦に迫る)「虎御前山城と丁野山城を探訪」

お彼岸を迎え連日の猛暑も一服して涼風の吹く絶好のハイキング日和となり、参加者15名で河毛駅をスタート。今回は小谷城攻防戦の前哨戦の陣地巡りで、まずは虎御前山へ。ここは織田信長が小谷城を攻めるために築いた砦で、信長、秀吉や堀秀政などの陣跡が残り、堀切、竪堀、土塁、切り岸、帯郭、犬走り、かざし堀、くい違い虎口などを確認。その後、虎御前山を下りて小谷城戦国歴史資料館で昼食。午後は小谷城下の郡上宿を通り抜け丁野(ようの)山へ。ここには浅井方の中島直親が守備した中島城跡があり、主郭が周囲を高い土塁で囲まれた様子がよく残ります。その後、尾根道を伝い丁野山城跡へ。ここは朝倉方の越前玉泉坊が守備した所。西側は高時川に守られ、周囲を横堀りと犬走りを配しており堅固な城であったことが窺えます。主郭は土塁を使用しない特異な形状を保ち、北国街道と北国脇往還をにらみ、山本山城~丁野山城~小谷城の防御ラインの要であったことが見て取れ、朝倉方の巧みな築城技術が活かされていると言われます。この行程は攻める側(信長)と守る側(浅井・朝倉)の両方の陣跡を踏破したハイキングとなり、皆さん満足された一日となりました。

実りの秋の田園を抜けて虎御前山を目指す
虎御前山の織田信長陣跡で
堀秀政陣跡 堀秀政はこの後秀吉の重臣として活躍します
江戸時代の郡上宿を散策 高札跡など往時を偲ぶ遺跡が残ります
丁野山城へ
中島城を目指す
丁野山城から決戦地を望む 奥の伊吹山の左手前が小谷城、その右に虎御前山 今はその間に北陸道のスマートインターチェンジが開設されています
丁野山城跡でガイドの解説に当時を偲ぶ

9月21日(木)トピックス 淡海ボランティアガイド連絡協議会 湖北ブロック交流研修会がありました

長浜、米原、奥びわ湖の湖北の3つのボランティアガイド協会の交流研修会があり、70名余の会員が集いました。今回はNPO法人長浜観光ボランタリーガイド協会の当番で会場は長浜市街地です。まず全体会として曳山博物館で開会式と長浜城歴史博物館福井館長の「秀吉が造った長浜城下町と城下町遺産」と題した講演会で事前学習。今年は長浜開町450年として各種のイベントが行われています。講演会の内容はまさにこれにピッタリで、戦国時代の長浜の姿を頭に入れて、次は4つのコースに分かれて市街地に出発です。戦国時代の遺構や明治から昭和までの歴史建造物などを見学。黒壁界隈の賑わいに加え、曳山蔵の内部見学など貴重な体験も。道中は地元のガイドさん達の丁寧な案内で、心配された雨もなく大変有意義な研修を終えることが出来ました。

いざ市街地へ繰り出します
曳山博物館で開会式と講演会での研修
黒壁と大手門通り 昨年の滋賀県下観光客入込数第3位の人気スポット
常盤山山蔵 普段は見られない山蔵に保管中の曳山を見学

9月17日(日)JRハイキング 横山岳の前衛峰 秀峰 墓谷山へ

今回は初めての企画で、近年登山愛好家で賑わっている秀峰横山岳(1132メートル)の麓、木之本町杉野界隈の探索ハイキングです。地元の杉野地区では「横山岳を守る会」を中心に保全活動に尽力されていて、このハイキングには守る会前会長の二宮さんのご案内や「おもてなし」により意義深い探索が出来ました。この辺りも山岳仏教盛んな頃の寺院が山中に残っています。その一つが標高約330メートルの山中に位置する南罫寺。平安初期に最澄自ら千手観音像を彫刻し、堂宇を建立、大亀山南罫寺と号したと伝えられています。最盛期には48の僧坊が立ち並ぶ大寺院であったとのこと。ここから墓谷山へと昇る筈が危険なため断念して杉野集落に戻り、まず江戸末期から続く料理旅館の「長治庵」を訪問。ここは杉野に残る唯一のかやぶき民家の伊香式住宅を利用した料亭です。この母屋を見学させていただき、参加者の皆さんは昔ながらの間取りなど生活の様子を想像して興味津々の様子。次に、県指定有形文化財建造物になっている福王寺へ。ここは薬師堂とも言われ、毎年2月には五穀豊穣と村の無事を祈願する湖北地方特有の祭りである「おこない」が行われる信仰の場でもあります。そこから網谷林道を歩いて白谷登山口へ。ここが横山岳登山口のメインゲートで、立派な山小屋もあり、ここで何と軽トラックで先回りして、椅子の準備やお手間いりの梅干し、ミョウガ、ジャガイモの煮つけと心遣いいただいての昼食。横山岳の歴史、お花などの説明、山開きに来ていただいた田部井淳子さんや田中陽希さんとのエピソード等をお話頂きました。差し入れの珍しいお惣菜に皆さん笑顔で疲れも忘れるひと時となりました。昼食後も集落の歴史的建造物などあちこちを見学して帰路に着きましたが、一部の方は今度は横山岳に登ってみたいとの希望も。ぜひ頑張ってください。

南罫寺入口へ
南罫寺への道
南罫寺で説明を聞く
鐘をついてご利益にあやかりたい?
料亭長治庵 お忙しい昼食時にお邪魔しました
福王寺 篤い信仰の場です
横山岳遠望 白谷登山口を目指す
白谷登山口で ご案内の二宮様と記念撮影
網谷川にかかる長平橋 映画の撮影スポット
釣鐘堂と杉野富士 この釣鐘には数奇な来歴と形があります 後方がご当地富士の墓谷山

9月10日(日)奥びわ湖ハイキング    (越前近江国境に聳える城跡へ)秘境の玄蕃尾城跡で栄枯を偲ぶ

残暑厳しいとはいうものの着実に秋の気配も感じられる朝、柳ケ瀬バス停に降り立たれたのは滋賀県南部や京阪神方面に加え、柴田勝家の出身地尾張からの熱烈なファンなど総勢19名の皆さん。国道365号線の旧北国街道から越前刀根越えの旧道を進み、この道を明治天皇と明治新政府の要人達が巡幸されたとの説明に暫し当時に想いを馳せ、いよいよ倉坂峠から城跡へ到着。高い土塁、深い堀など往時の姿をよく残し、整備の行き届いた広い城跡に感嘆の声。散策の道すがらここにお市の方や三姉妹も立ち寄ったかも知れないとロマンに浸られる方もあり、好天のもと楽しく440年前の歴史を偲んでいただきました。下山後は柳ケ瀬の関所跡で江戸時代の建物を見学、ここは明治天皇の行在所ともなり、戦国から近代への歴史散歩の一日でもありました。

倉坂峠 ここから城跡へ急坂を登ります
柳ケ瀬集落から登山道へ
城跡入口の説明版 県境でもあり滋賀県側は内中尾山と称しています
土塁を行く 良く残る高い土塁、深い堀が砦ファンを魅了して止みません
櫓跡で記念撮影 よく整備された城跡は安心して見学できます
柳ケ瀬関所の門を見学 門が移築された旧鈴木家 明治天皇行在所の碑も

8月27日(日)JRハイキング (日本最古とされる羽衣伝説、最古級の酒蔵、図書館)古き町木之本をゆっくりと

残暑厳しい日ではありましたが、約7キロメートルの道のりを全員元気に完歩していただきました。このコースのメインは北国街道木之本宿の街中散策ですが、出発点はまず賤ケ岳リフト乗り場の大音集落に鎮座される式内社伊香具神社から。この神社には日本最古と言われる羽衣伝説と伊香式鳥居と言われる特異な形の鳥居が特徴の古社です。ここから再度木ノ本駅に向かい、駅前の江北(こほく)図書館へ。この図書館は明治35年設立の私設図書館で現在も公金の対象にもなっていないものの、有志の努力により運営されています。最近ではクラウドファンディングなどで資金を調達され老朽化した建物の修理に取り組まれています。このあと町おこしの施設「木之本塾」で手打ちそばの昼食で一息。木之本宿には創業が戦国時代に遡る山路酒造と富田酒造の2軒の酒屋さんが営業されています。その銘酒が「桑酒」と「清酒七本槍」、参加者の皆さんはこぞってこの銘酒を買い求めておられました。木之本の街は門前町でもあります。その木之本地蔵院(浄信寺)にも参拝。眼病のご利益であるかわいらしい身代わりカエルにもしばし癒されました。「きのもと交流館」では失われゆく伝統工芸の小原かごの展示の最終日に間に合い、ガイドの解説を聞いていただきました。このように見どころ沢山の街中をゆっくり散策して頂き木ノ本駅で解散となりました。

江北図書館 このレトロな建物も値打ちです
木之本地蔵院(浄信寺)を参拝
旧本陣薬局 江戸時代は大名の宿泊宿、明治に薬局へ 日本の薬剤師免許第1号を取得されました
山路酒造 ここの銘酒が桑酒
富田酒造へ この建物もレトロです 銘酒七本槍を求めて

8月19日(土)トピックス 滋賀県知事御一行様が賤ケ岳へお越しになられました

滋賀県の三日月知事様がプライベートで湖北地域を巡られ、賤ヶ岳山頂へもお越しになられました。知事ご自身は2度目で、今回は学生時代の気の置けない仲間たちとの賑やかな旅のご様子。知事以外は県外の方達ということで、当方のガイドも琵琶湖の水自慢をふんだんに取り入れ、賤ケ岳合戦の話も大河ドラマの進行とピッタリのタイミングで大いに盛り上がって頂きました。下山後は昼食、観音様巡りなどびっしりのスケジュールとのことでした。(この記事は知事のご了解を得てアップしました。)

琵琶湖の水は京阪神1400万人の人々に利用されています!!
この合戦の続きは明日(8月20日)の「どうする家康」に譲ります?