5月11日(日) JRハイキング (新緑の山に仏教文化の史跡を訪ねる)  樹齢1000年の逆杉を訪ねるトレッキング

朝から曇り空で快晴のハイキング日和とはいかないが何とか夕方までは持ってほしいと祈る。今回も人気のコースとあってバスのほぼ定員一杯の23名の参加者。木ノ本駅発のバス待ち時間を利用して賤ヶ岳や北国街道の説明、特に来年の大河ドラマの舞台と期待される田上山砦に今年度から始めた木ノ本駅からのディスカバーウエストのコースを案内する。バスの中でも他のお客さんがおられなかったので周囲の景色の説明をしながら井明神バス停に到着。石道寺の駐車場で改めて準備運動をしていよいよ出発。最初は歩きやすい林道であるが途中から険しい山道。小休止を入れながら歩くこと1時間、ようやく目的地に到着。そこは新緑のもみじが目に眩しい高尾寺の境内跡。参加者の皆さんから「きれい」「すばらしい」等の感想が聞かれる。その中で1000年杉を前にした方々からは一段と高い大きな感嘆の声が上がる。圧倒的な存在感を見せる大木に「すごい」「うわー」「何これー」等々の声が。昼食を済ませ帰りは下り道、油断せず慎重に下山し鶏足寺の参道のもみじや茶摘み前の茶畑の景色を堪能し無事木ノ本本駅へ到着。皆さんからは「今回も奥びわのハイキングで楽しませてもらった」という感想に疲れも吹き飛び、楽しい1日で終了することができました。

旧石道寺跡 ここから登山道となります 晴れてきました
新緑の登山道に爽やかな風が吹きます
逆杉(さかさすぎ) 大杉の前で記念写真
写真に収まり切れないので分割して
下山して鶏足寺跡解説板で 紅葉時には最もにぎわう所です

5月10日(土) JRハイキング (タイムスリップし電撃作戦を体感)  豊臣軍団、美濃大返し関連地を巡る

雨上がりの蒸し暑い天候でしたが、集合場所の余呉駅は大勢のハイカーで賑わいました。その中で私たちは14名で羽柴秀吉の「美濃の大返し」を体感するコースへと出発しました。まず高山右近が守備した岩崎山砦へ、続いて中川清秀の大岩山砦へ向かいました。両砦は柴田勝家方の猛将佐久間盛政の急襲を受け、高山右近は撤退、中川清秀は守備隊全滅の敗北を喫したのです。佐久間隊は、秀吉隊が美濃の岐阜城の織田信孝攻撃へと向かったその隙をついたものでした。今回のハイキングコースはこの後の秀吉の反撃作戦を体感するものとあって、歴史好き、砦ファンの皆さんは砦跡を熱心に探索されていました。続いて差し掛かるのが「猿が馬場」という秀吉が反撃のため到着したと伝わるポイントです。戦はここから秀吉方の猛反撃へと展開するのですが、私たちは逆コースに道を取ります。秀吉は大岩山砦の陥落を聞いて急遽大垣から13里(約52キロメートル)の道を5時間で駆け戻り、夜中に反撃を開始します。この反撃の道を下った山の麓の大澤(だいたく)寺には秀吉隊到着の危急を伝えるため佐久間隊が必至で鐘を搗いたと伝わる鐘楼があります。緊迫した状況が偲ばれます。その後一旦平地を戻り、木ノ本駅で休憩、昼食を取り、午後は田上山登山です。田上山砦はこの合戦で、秀吉の弟・羽柴秀長が布陣した砦です。土塁や堀、曲輪などしっかり残っています。皆さんは砦跡の図面を持って熱心に砦跡を探索されていました。下山して秀吉の本陣が置かれたといわれる木之本地蔵院(浄信寺)に参拝。このコースは来年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」の舞台でもあり大変喜んでいただき無事終了しました。

余呉駅前の賑わい 賤ヶ岳を目指すハイカーたち
大岩山砦跡で激戦を偲びます
秀吉が反撃で到着した場所がここと伝わります
大澤寺の鐘楼 佐久間隊の焦りが感じられます
広い田上山砦跡を隅々まで探索 よく遺構が残っています
砦跡の解説板で記念写真
来年の大河ドラマの舞台として期待されます

5月3日(土・憲法記念日) JRハイキング (賤ヶ岳合戦城砦シリーズ)  柴田勝家の本陣・玄蕃尾城跡へ

五月晴れの下、絶好のハイキング日和となり遠来の方も含め27名の参加者が木ノ本駅から路線バスで出発。満員とあってバス会社は往復とも臨時便で対応いただきました。玄蕃尾城跡へは柳ケ瀬バス停から約1時間の行程ではあるが、かつての街道も一部区間では横渡りの道が削られて細くなっている難所もあり、注意深くも無事通過して一安心。いよいよ玄蕃尾城跡に到着すると、見事なまでの縄張りと土塁の高さや空堀の深さに一斉に驚きの声が上がった。「一度来たかった所、感激しました。」との感想もいただいた。玄蕃尾城は柴田勝家の陣城でしたが、勝家隊は余呉湖方面に侵攻したためこの場所で戦いはなかった事により遺構が良好に保存され、しかも地元の保存会の方々によりきれいに整備されて安心して探索できます。各郭の機能分化や配置、それに土塁、横堀り、虎口、土橋、馬出しなど見事なまでの遺構は織豊系山城の最高水準と評価され、続日本の100名城に選ばれています。広い主郭跡で昼食と記念写真を済ませ、来年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」にも取り上げられるかもしれないという期待と話題にも関心が高まる。城跡を十分堪能した筈も、名残り惜しい気持ちで下山、帰路の路線バスは解散場所の余呉駅へ向かいました。

登山口の柳ケ瀬で行程の確認
城跡へ到着 入口の解説板で全体像をつかむ
広い城跡を一回りしました
このような深い堀が巡らされています
広い主郭跡で昼食 きれいに整備された城跡は安心して楽しめます
主郭の櫓跡で記念写真 やったぜと思わず手も上がります
登山道の一部にはこのような狭い横渡りの道もあります
追録 事前にガイドの有志でこの道の補修をしました

4月20日(日)JRハイキング (好評「おとちの岩窟」春コース)         敗者石田三成が再起をかけて潜伏した岩窟

人気のこのコースも山道とあって天気予報が心配の種。今回も予報は雨模様気味のためキャンセルが出る中にも18名の参加で出発。ところが予報が外れ曇り空で雨は降らずに無事踏破でき一安心。今回は木ノ本駅からは登山口まで徒歩としたため、少しきつめの登山となったが全員予定の時間に目的地に到着。皆さん一度は来たかったという思いが強い中、岩窟の入口の様子には少し戸惑いもあって一部の方は様子見も。しかし勇気を奮って多くの方が岩窟の中に入り、三成公の潜伏を追体験できた満足感に浸る。若葉が芽吹く春山の景色の中、昼食を済ませて今度は急坂を林道まで下る。この辺りはかつての己高山仏教寺院群の名残りを留めている所とあってまた違う雰囲気を味わう。特に秋の紅葉で賑わうスポットの鶏足寺山門跡では新緑のモミジの下を通り、石道寺から井明神のバス停まで歩く。今回は少し長めのコースのため皆さん少々疲れ気味の中、木ノ本駅まで走って行かれる強者がおられ全員びっくり。木ノ本駅では冷たいジュースを飲みながらしばし談笑。名古屋、埼玉など遠方からの参加者もあり、他のハイキングにも参加される方々からは、「奥びわのハイキングはただ歩くだけでなく目的があって、しかも道中各所で説明があるのでとても良い」とのうれしい言葉にその魅力などについて話が盛り上がり、天候を心配していたものの満足して頂き楽しく終了することができました。

登山口に到着 念入りに準備体操
道中も笑顔が
とうとうやって来ました 満足感一杯に記念写真
林道に降りて一安心
己高山仏教圏の案内板で
紅葉の一番の人気スポット 鶏足寺山門跡は若葉
石道寺(しゃくどうじ)ここも紅葉で賑わう観音堂

4月19日(土)JRハイキング 春爛漫の賤ヶ岳と余呉湖を楽しむ    (武将も駆け抜けた砦跡と湖畔を歩きませんか)

好天とは言え、急な夏日で登山の服装にも思案の日和となりました。しかも春先から続く低温により桜の開花が遅れたため、昨年とは違って湖畔の花の主役が入れ替わらず、余呉湖観光館周辺は菜の花とソメイヨシノの花盛り。しかしハイキングには持って来いのため天気予報が固まるに連れて34名の参加となり、賑やかに余呉駅を出発しました。まず余呉湖羽衣伝説の天女の子を祀る乎彌(おみ)神社に参拝し、安全祈願と伝説を偲び、賤ヶ岳合戦の岩崎山砦跡へ登る。ここはキリシタン大名の高山右近が守備しましたが、敵襲に戦わずに撤退したことで知られます。その撤退先が秀吉の弟秀長の田上山砦とあって、来年の大河ドラマとハイキングの話題に。そこから大岩山砦跡を経て賤ケ岳頂上を目指す。道中は吹き抜ける風の涼しさで多少の坂道も小休止を挟んで進むと道端に咲く小さなスミレやイカリソウの花にカメラを向ける人も多く、新緑が芽生える明るい道に声が弾む。頂上からは春霞もあって遠望はややかすむも、桜の間から見える北方の高山には雪、両方の湖は青と賤ヶ岳の大観を満喫しての昼食。下山しての湖周道路には昨年までとは違ってサワオグルマの群生地は日当たりのいい所に一部、ソメイヨシノの並木は花吹雪、その間に彩を添える八重桜はようやく赤いつぼみを膨らませ始めたところと、例年とは少し様変わりの中にも春爛漫のハイキングとなり、「楽しいハイキングでした」と嬉しい言葉も頂きました。

乎彌神社に参拝 余呉湖湖水に関わる歴史があります
新緑が芽吹く明るい登山道を行く
賤ヶ岳山頂直下の最後の急坂を登ると待っているのが・・・・
桜と若葉の下で昼食タイム 北方の山には雪も
賤ヶ岳の大観を満喫した参加者の皆さん
余呉湖畔の道は春の装いでお迎えしてくれました

3月29日(土)JRハイキング(小谷城落城に迫る) 秀吉の小谷城攻めのルート「からめて道」

若葉の芽吹く前のこの時期は小谷城の構えを体感するのに持って来いの季節です。ここに城マニア11名の参加で、小谷城攻防戦で羽柴秀吉の軍勢がよじ登ったと言う「からめて道」を追体験する企画です。まず当時の城下町で江戸時代の郡上宿を通る際には、民家の庭先に咲いた紅梅などを見学させていただきました。午前中は通常の小谷城跡の見学で、番所から本丸、京極丸を経て山王丸まで登る。京極丸では秀吉軍が攻め上がってきた虎口をしっかり確認し、午後は六坊から土佐屋敷(現在大野木屋敷)へ下り、石垣の構えを見学しました。ここからからめ手道を京極丸下の曲輪まで登ります。この曲輪は、絵図では「大野木」と描かれています。秀吉軍はここから京極丸虎口へよじ登ったと考えられます。この大野木曲輪では落城時の様子を伝える資料を手に、城内の歴史を知り尽くしたガイドが解説しました。その後、本丸下を通る横掛けの道から虎御前山展望所に出、ここで記念写真。ここまでの道のりは、急斜面の細い道を通るなど山城の雰囲気を体感し、斜面の途中に現れる多くの竪堀も木々の生い茂る前にはしっかりと確認できました。城マニアの皆さんは戦国時代にタイムスリップしたかのように満足感一杯に無事下山、解散となりました。

郡上宿 当時の城下町で江戸時代の宿場 民家の庭先の紅梅が鮮やか
本日のルートの絵図面 羽柴軍もこのような図面で攻略法を練ったか?浅井親子を分断する計略が見える
その秀吉軍が攻め込んだ京極丸虎口 激戦を偲ぶ
大野木曲輪跡で攻防戦の全貌について解説するガイド やはり悲哀の物語です
竹生島、琵琶湖方面を一望する展望所で記念写真 穏やかな春の一日でした

3月23日(日)JRハイキング(R8大河の主人公、秀長の砦、田上山を 行く)賤ケ岳合戦、羽柴兄弟が陣を張った木之本宿

好天の春日和の中、28名の参加者の皆さんが初めての田上山砦訪問とあっていやが上にも期待が膨らむ。まずは登山口の意冨布良(オホフラ)神社へ。地元町衆の氏子の方々による厚い信仰と財力により立派に整備された境内を散策。ここには北国街道と北国脇往還の分岐路に立っていた道標が移設されているなど歴史遺産の数々が見られ、神社の来歴などを解説。境内から登る忠魂碑の広場は木之本の街が一望できる桜のスポットでもあり開花が待ち望まれる。ここからの上り道は神社の神域で、以前は3社が存在した「上の宮(かんのみや)」などの祭祀跡を通過するとほどなく城郭の一部が現れ始め、いよいよ砦跡に迫る期待と緊迫感が。南堀切りに続く南郭、主郭の土塁を横目に見上げながら広い砦跡に到着すると一転して安堵感と共に一息入れる。昼食後は砦跡に立つ案内看板を頼りに9つの郭を説明。特に横矢を放った北外郭、北からの進攻に備えた遺構を解説するが、敵陣への見通しは当時と違って木々の遮りが残念。これは大河ドラマに合わせ眺望の確保が計画されていることを話すと秀長の活躍がどのように描かれるのかと皆さんの期待が膨らむ。一通りの見学を終えて町へ降り木之本宿の散策へ。秀長の田上山砦が戦陣の実質的本陣なら、秀吉が陣を置いたと伝わる浄信寺が戦の作戦本部でした。ここの地蔵大仏など寺院境内を見て伝馬所跡や街並みに江戸時代の面影を偲ぶ。街歩きの楽しみは土産物。ここでは桑酒で知られる山路酒造の試飲サービスや楽しい会話にひと時を過ごし、予定通り木ノ本駅に帰着し解散となりました。

意冨布良神社 桜の開花が待たれる参道 ここから裏山の砦跡に登る
馬出しとある看板
廓跡 あちこちに遺構が良く残ります
測量案内図で全体像を確認する
記念写真 春の穏やかな木漏れ日に満足感も漂う
下山道からは木之本の街が一望される
地蔵院(浄信寺)から街並み散策へ
伝馬所跡 江戸時代の雰囲気がよく感じられます

3月20日(木・祝)JRハイキング(山越えで琵琶湖へ お昼は好評近江牛丼)えっ!これが昔の子供の通学路?

このハイキングのメインテーマは山越えの困難な昔の通学路を体験する事でしたが、事前の下調べにより、倒木が酷い上に横渡りの道が崩落するなど通行ができないと分かり、急遽近代の旧国道8号線のトンネルを抜けるコースを行くことになりました。しかし、サブテーマの近江牛丼の昼食が好評で参加の皆さんには大いに喜んでいただけました。さて、当日は好天に恵まれ、木ノ本駅を26名で出発。道中は最近の米価の値上がりもあって水田や農業事情も話題にしながら伊香具神社に到着。特異な形の伊香式鳥居や羽衣伝説と伊香氏、藤原氏の話などを披歴。伊香具小学校前ではこの学校独特の教育(茶道、箏、愛唱歌等)に興味深く聞かれる。ここから旧道のトンネルを抜けると一気に琵琶湖の眺望が開け歓声が上がる。この出口付近の山道が昔の通学路の面影を良く残し、小学生たちは藁草履でこのトンネルの山越えで通学した苦労話に暫し感慨に浸る。急坂を下ると琵琶湖畔の山梨子の集落で、ここの民宿「湖桑庵」が昼食場所。民家を改装した室内や国鉄時代の車掌車を利用した宿泊施設などを見学して、店主のご厚意により出前の近江牛丼に舌鼓を打つ。「この値段でこの味とはすごい」とお褒めの言葉に感激。琵琶湖を背に記念写真を済ませ急坂をまたトンネル道へ戻る。行程短縮のため木之本の宿場町を見学できる余裕が生まれ、酒屋さんで試飲してお土産を買うなど大いに楽しんで頂けたハイキングでした。

奥琵琶湖の景色 お椀型の島が竹生島
昼食場所の湖桑庵前で
記念写真 琵琶湖は大きいぞ! 水平線に両手を広げて「地球は丸い」を実感?
急坂を戻って帰り道へ
木之本宿へ 山路酒造前の桑酒の看板と犬矢来 ポストもレトロ
お店では試飲して、楽しくおしゃべりも弾み、お土産を手に

3月16日(日)JRハイキング (余呉から木之本へ 北国街道江戸旅体験)   伝説の式内社と北国街道木之本宿を巡る

この日の天気予報は早くから雨予報が固まり、直前キャンセルもあって参加者は6名と少なくなりましたが、幸いにも雨は小降りで小人数もあって足取りは早く、予定通り見どころを堪能していただける結果に。出発は式内社の羽衣伝説ゆかりの乎彌(おみ)神社から旧北国街道の坂口集落へ入り、まずは江戸時代から続く菊水飴本舗に立ち寄り、大名や旅人たちに人気だったという飴をお土産に買い求めました。ここは古刹菅山寺の登山口でもあり、菅山寺の里坊の弘善館(宝物館)を拝観できる幸運に恵まれ、ここで昼食も取らせていただきました。山上の菅山寺は無人となったため、近年、寺の所蔵品はこの里坊に降ろされて保管されています。仏像の他、開祖の上人像や中興の祖、菅原道真公像に加え、特に大きな釣鐘が鎮座し、これを地元の方たちが人力で山上から降ろしたと聞き驚きでした。二つ目の式内社は意波閉(おあへ)神社。ここは明治時代の神社統合により坂口神社が合祀されています。次に向かったのが式内社の黒田神社と黒田家御廟所。ここは黒田勘兵衛の黒田家ゆかりの地として知られ、その後再び北国街道に向かう。その先に見えるのが賤ケ岳合戦で羽柴秀長の陣となった田上山砦のあった山とあって、来年の大河ドラマに話が及ぶ。木之本宿に入ると、山内一豊公ゆかりの牛馬市、地蔵大仏の立つ浄信寺、本陣宿など見どころは沢山。その中で人気だったのが、桑酒で知られる山路酒造ではいくつかのお酒が試飲でき、次々と買い求めておられました。また名物のサラダパンに「でっち羊羹」なども沢山手にして、笑顔いっぱいに木ノ本駅に到着、解散となりました。

乎彌神社 ご祭神は天女の生んだ子と伝わる
坂口の飴屋市助 後方の古い暖簾に菊水飴とあり醍醐寺から贈られたもの
意波閉神社(門構えの中は下の字)ご祭神はオオサザキの命(仁徳天皇)
黒田神社 氏子の人々により寄進された灯篭などでよく整備された境内
黒田家御廟所 大河ドラマ「軍師官兵衛」時では大変な賑わいでした
この場所から出土した墓碑銘の源宗清に関わる黒田家の系図

3月15日(土)JRハイキング(山歩きの好シーズン) 小谷城跡を探訪-石垣めぐり

雨予報のためか参加者は6名となりましたが、その分和気あいあいのハイキングを楽しんで頂きました。この時期は木々が芽吹く前で見晴らしも良く、山歩きの好シーズンなのです。まず小谷城資料館前から大手道、番所へと登り、早速虎御前山展望所で集合写真となりました。ここからは竹生島、沖島、八幡山、佐和山など湖南方面まで見渡せ、向かいの湖西の山々はまだ白く雪に覆われています。今回のテーマは石垣めぐりです。近年の調査研究により、小谷城は総石垣の山城であったことが明らかになってきました。随所に現れる石垣を確認しながら、御茶屋、桜馬場から黒金門を通り大広間へ。本丸下で昼食をとり、春先の草花、ニリンソウやザゼンソウなどの話題でも花が咲きました。その後、虎御前山から秀吉が小谷城攻めで入った京極丸の虎口を探索し、続いて山王丸の立派な大石垣、南側の破城されている石垣や東側の美しく残っている大石垣(野面積み)を見る。六坊から清水谷コースを下山し、大野木屋敷と三田村屋敷の石垣を見学しました。特に今回は少し上の方から大野木屋敷の石垣を見学して、狭い急斜面に3段のセットバックで積み上げた見事な石垣を見ることができ、皆さん大喜びで満足していただきました。午後の気温は急に低下して、時々しぐれましたが予定通り無事下山できました。

まずは展望所で記念写真 後方は琵琶湖 竹生島、山本山などが一望できます 
京極丸虎口 羽柴秀吉の軍勢が攻め込んだ所
山王丸の石垣 ここから大石垣などに続く
大野木屋敷の3段造りの石垣 石垣めぐりのハイライト