永原駅を28名の参加でスタート。山門(やまかど)水源の森までの約7キロメートルの道のりを歩いて到着した「森の学舎(まなびや)」で昼食とする。ここから湿原を目指すが丁度この日は「山門水源の森を次の世代に引き継ぐ会」の皆さんの保全活動の日と重なり、湿原の保全活動について学ぶ良い機会となった。一時は鹿の食害でミツガシワやササユリが絶滅状態となったが、防護ネットなどで侵入を防ぎ、多くの植物が再生できたこと、この日は冬に備えてこの防護ネットを撤去し、また春には取り付ける作業が待っているとのことで様々な取り組み活動を知ることができた。紅葉の道を進んで到着するのが水源の森の湿地帯。一面に広がる黄色のジュータンに彩を添える紅葉と常緑樹のコントラストが見事で一斉に写真に収める。更に進むと雑木林の「四季の森」に。暖秋で色づき具合が心配されたが、「うわぁ~きれい」と感嘆の声で一安心。ここで思いがけずコナラの穴に生えたキノコが見つかり、次々とカメラに収める行列ができるほどの注目を集める。紅葉の世界を十分堪能して集合写真を撮り、アカガシの森など色づく道を通って森の学舎に帰着する。京阪神方面からの参加者が多く、近江塩津駅へ向かう帰路のバスの中では楽しいハイキングだったとのうれしい感想をいただきました。
11月9日(土)トピックス 紅葉の名所「鶏足寺、石道寺紅葉散策」始まる
「暖秋」とも言えそうな毎日ですが、山々の紅葉も少しづつ進んでいるようです。今月8日から27日まで、紅葉の名所「鶏足寺、石道寺の紅葉散策」期間となりました。私達ガイド協会では、木ノ本駅からの紅葉循環バスに添乗してご案内するほか、散策路のポイントでも場内のご案内などのお手伝いをしております。鮮やかな紅葉のピークはいつか気になるところですが、石道寺の十一面観音様や己高閣、世代閣に収蔵された沢山の仏様に会える絶好の機会でもありますので、ぜひこちらも拝観されるようおすすめします。期間中のバスの運行や紅葉情報など、詳しくは(公社)長浜観光協会のホームページ(https://kitabiwako.jp/)をご覧ください。
11月9日(土)JRハイキング(大河ドラマ決定!豊臣兄弟の弟・秀長の砦跡へ)紅葉の野神の里から羽柴秀長の田上山砦跡へ
紅葉はもう少し先ですが、秋晴れの下今回のハイキングは、①野神信仰と巨木、②北国街道木之本宿、③メインの戦国の陣城、田上山砦跡を目指すものです。高月駅に19名の方々が集まり、まず国宝十一面観音堂前の野神の古木を見て、柏原集落の八幡神社境内にある欅の古木では湖北の野神信仰について説明。この大木の前に立つとその姿に圧倒され、畏敬の念さえ湧いてきます。次に目指すのは雨森の集落。ここは朝鮮通信使に関わる対馬藩士雨森芳洲の出身地であり、記念館「東アジア交流ハウス・雨森芳洲庵」がある所で、集落の景観も整備されて水路には水車も復元されています。ここの神社「天川命(アマガワノミコト)神社」にあるのが大イチョウ。ここも色付きにはまだ間がありますが皆さんその大きさに圧倒されていました。次は井口集落。ここは戦国武将井口弾正の屋敷跡が残り、日吉神社の梵鐘や庭園を見学。ここまで軽快な足取りで順調に木之本宿を通過し、木ノ本駅待合室で昼食タイムとする。午後は意冨布良(オホフラ)神社を参拝していよいよ田上山砦跡へ。急な坂道の周辺には上の宮(カンノミヤ)など幾つかの祭場もあって霊地の雰囲気も感じながら、次第に砦の外周遺構が見え始める。登り切った砦跡はきれいに整備されていて、案内図をもとに広い砦跡を隈なく散策、戦国時代に思いを馳せるファンには嬉しいひと時となりました。皆さん大河ドラマでの取り上げを期待して元気に下山、木ノ本駅で解散となりました。
11月4日(月・休)JRハイキング(紅葉の山に己高山仏教の史蹟を訪ねる)樹齢1000年の逆杉を訪ねるトレッキング
絶好の秋晴れに恵まれ人気の逆杉を訪ねました。今回、遠くは千葉県習志野市からを始め愛知、和歌山、奈良、兵庫他33名の参加。石道寺駐車場で行程説明、注意事項、準備体操をしていざ出発。最初は楽々の林道を歩き石道集落の元屋敷(元々の集落跡)の奥にある旧石道寺の山門跡を訪ね一息入れる。さてここから急な道なき道を登ること約30分。ようやく中間地点の独狐水(弘法大師が佛具の独鈷を使って岩の割れ目から湧水させた場所)に到着。意外と険しい急勾配で皆さんに疲労感が。少し長めの休憩を取って後半にチャレンジ。何度も小休止しながらさらに登る。すると山道の勾配が緩くなり横がけの道を曲がると一気に雰囲気が変わり神聖な空気に包まれた空間に出る。その奥に圧倒的な存在感のある逆杉がデンと構え、その威厳に疲れも忘れ全員がしばし見入る。この急坂を登り切った者だけが見られる景色。樹齢1000年の大木の立ち姿には畏敬の念を禁じ得ず、生き生きとしたパワーをもらい充実感と達成感に浸る。この杉は、伝教大師最澄がここの祠に玉串として杉の枝をさしたところ、これが大杉に成長したという不思議な話を伝えます。昼食の後一旦尾根まで上がり帰途につく。紅葉にはまだ間がありそうだが、来週あたりから多くのお客さんで賑わう鶏足寺の参道を通ってバス停まで行く。バスの中では「大変な山道だったけどそれ以上に逆杉が良かった」、「是非もう一度計画してほしい」といった言葉をいただき満足感一杯のハイキングとなりました。
11月3日(日・祝)JRハイキング(好評の峠越えシリーズ) 余呉湖の尾根をぐるっと一周
文化の日は晴れの特異日と言われるだけあって、前日の大雨から一転して秋晴れの好天となり、参加申し込み状況は台風の影響がなくなる予報と共に増え41名の参加者となった。皆さん健脚揃いで元気に余呉駅を出発。まずビジターセンターの賤ケ岳合戦大看板図で戦況を概観した後、権現峠を目指す。前日の雨の山水に注意しながらも難なく峠に到着。ここはかつての通行の賑わいを示す祭祀の跡の灯篭が残り往時を偲ぶ。ここからなだらかな稜線を行くが、途中何組ものハイカーとすれ違い挨拶を交わす。最高峰の大平良山で余呉湖を見下ろし、公方山で昼食タイムとする。ここまで汗ばむ道も稜線を吹き抜ける風で一気に涼しさを通り越す体感となる。午後は飯浦切通しへ向かう急坂を下り切ると、一転して賤ヶ岳山頂への急坂を登るルートである。ここまで順調に経過したので、賤ヶ岳山頂では十分景色を楽しむ時間を取り、合戦や伊吹山、琵琶湖の成り立ちなどを解説する。ここで京阪神方面からの参加者の希望で予定より少し早めに余呉駅を目指すことに。猿ケ馬場、大岩山砦、岩崎山砦を見学して、予定通り湖西線回りの下り電車に間に合い、約半数の早朝出発組の方々の希望に応えることができました。(お詫び この日ハイキング参加票の準備を怠りました。次回参加時にお申し出をお願いします。)
10月27日(日)JRハイキング(淀殿と片桐且元の生誕地)小谷城跡から須賀谷温泉へ
天気予報のためか10名の参加となったが、殆どが初登城の方々で「ぜひとも来たかった所」など期待度の高い声にガイドの気持ちも高ぶる。今回は追手道、望笙峠など主要なポイントを経て片桐且元生誕地の須賀谷集落へ下るルートで、一部急峻な道もあるためあまり利用されていないコースであることも今回のハイライトである。さてその望笙峠では思わぬ出会いにためらった。ここに織田信長実母の土田(どた)御前を顕彰する会の一行がおられ、いわば宿敵との出会いに複雑な思いを禁じ得なかったが、お市様の城でその娘の淀殿の生誕地でもあることに思いを馳せ気を取り直して、金吾丸、番所址へと進む。虎御前山を見下ろすスポットでは迫りくる織田方の軍勢の圧力を感じ、続いて石垣跡や土塁などの城内の各所の堅い守りを偲ばせる造りや繰り広げられたドラマなどを解説しながら通過する。中丸で昼食を済ませ、京極丸から山王丸虎口へ至り激戦を偲ぶ。ここからが須賀谷に下るコースとなり、一部に設置されたロープにつかまるなど足元に十分注意を払いながら進むと絶景ポイントの岩場に到着し、その眺めを堪能する。そこから須賀谷の集落に降りる。ここは古くからの温泉場としても知られる隠れ里の雰囲気がある小集落だが、片桐家にまつわる史跡や神社を護持、顕彰されているのです。ここでの話題は、且元が秀吉亡き後の豊臣家存続に努力するも、逆に淀殿に疑われ両者は離反することになる歴史の展開です。参加者の半数の方は茶々たちも浸かったかもしれないこの温泉目当てでもあり、ここで別れた残りの一行は河毛駅を目指し予定通り帰着、解散となりました。
10月26日(土)JRハイキング (大河ドラマで話題沸騰の深坂古道) 紫式部が詠んだ「からき道」を往く
前回7月に続き今回も30名を超える参加者で賑わった。このコースは新疋田駅を起点に近江塩津駅までの深坂古道を踏破し、紫式部の越前国府下向とは反対方向の都への帰路道を追体験するものです。敦賀市疋田地区は古代の愛発(あらち)の関が置かれた所と伝わり、江戸時代には川船を利用した運河が造られ、今は復元されたその流れを観察できます。また戦国時代には朝倉方の出城「疋壇城」があり、ここは最終的には信長により壊滅されたのですが、まずこの城跡を訪ね苔むした石垣、土塁や多数の巨石を見て激戦を偲びました。一旦駅に戻りここで昼食とし、ここから深坂古道へ向かう。途中にあるのが紫式部と万葉歌人笠金村の歌碑。紫式部の歌碑には、輿をかつぐ男たちが山道に愚痴をこぼしたことから世渡りの難しさに重ねて諭したものと解説されています。さらに山道を進み深坂峠を越えると「堀止め地蔵」とも称される深坂地蔵堂に至る。ここは平清盛の命により敦賀と琵琶湖を結ぶ運河の掘削が計画されたものの、大岩に突き当たり工事を断念したことに由来すると伝わります。また「塩かけ地蔵」とも言われ旅人が塩をかけて道中の安全を祈ったとも。境内は地元の人々によりきれいに整備された霊地です。問屋跡などの街道の名残りを見て、古道を抜け立ち寄るのが元峠茶屋の西村家。ここの庭園は江戸時代初期からの歴史があり、現ご当主により園内を案内していただくご厚意に預かり、歴史街道を満喫した一行はここから路線バスで近江塩津駅へ向かいました。
10月20日(日)JRハイキング (観音まつりにお会いできるホトケ様)伊香の霊場巡りで湖北の秋を楽しむ
前日の大雨がウソの様に晴れ上がったこの日は、「第40回観音の里ふるさとまつり」とあって朝の高月駅前は大勢の参拝者でいっぱいの賑わいです。大半の方は周遊バスか巡回バスによる霊場巡りなのですが、その中でテクテク旅の巡礼には12名の参加者で静かに出発しました。このコースは伊香三十三ヶ所観音霊場のうち、7から9番と11番の4か所の札所巡りです。最初の7番大円寺(高月観音堂)も地元の世話方により護持されてきたお堂で、千手観音様について丁寧な説明をしていただきました。8番宇根冷水寺の11面観音座像は「鞘仏」という胎内仏を宿される珍しいお姿で、胎内仏資料館ではその数奇な由来のお話を伺いました。途中、大杉のある春日神社に立ち寄り神仏を守ってきた地域の話題にも及び、西阿閉(あつじ)の9番竹連寺では集会所をお借りしての昼食タイムの後、ご本尊のやはり数奇な由来の説明を聞き、境内の無患子(むくろじ)の実に興味が向くと、「もってけ、もってけ」の言葉にポケットにしまう。いよいよ最後の11番西野正妙寺は11面千手千足観音様とあって、巡礼の足にも力がみなぎり巡回バスや自転車組にも引けを取らずに到着。薬師堂での解説には、琵琶湖畔の埋没集落伝承の一つ、阿曾津千軒の話にも及び仏様と集落の古い歴史を偲びました。ここから高月駅への帰路になるのですが、ご開帳されていない10番札所や神社、古墳などを見ながら無事5時間の巡礼旅を終えることができました。
10月13日(日)JRハイキング(好評おとちの岩窟秋コース) 敗者石田三成が再起をかけて潜伏した岩窟を訪ねる
毎回人気のコースですが、前回4月は雨のため参加者が半減、今回は秋晴れの下30名の参加者で賑わいました。中には前回に続く参加のリピーターの方や前日の行市山に続く連続登山の強者の方も。今回の行程は木ノ本駅から徒歩で登山口を目指し、まず浄信寺を経て通り抜けるのが「アットリトンネル」。難読地名の漢字を避けて最近はカタカナ表記にもされています。約1時間で登山口に到着し、注意事項などを確認していただく。そこから尾根道を登ること約1時間半で目的地のおとちの岩窟に到着。この岩窟の入口は狭く、ちょっとした冒険心が必要ですが、ほぼ全員の方が岩窟の中に入って三成公が一時潜んだと伝わる雰囲気を追体験し満足感に浸っていただいた。昼食を済ませ、帰りは林道を目指して下山。己高山寺院群の跡などを確認し、鶏足寺から石道寺の参道を通り井明神のバス停へ向かう。ここは来月には紅葉で賑わうルートなのですが今は青葉の静寂に包まれていて、これもまたなんとも言えず良い雰囲気だ、と参加者からの感想が漏れ聞こえる。予定のバスで15時30分過ぎ無事木ノ本駅へ到着。今回は少し長い距離となりましたが皆さん快い疲労感で帰途につかれました。
10月12日(土)JRハイキング 柴田勝家方佐久間盛政の砦跡へ 賤ヶ岳古戦場の最高所、行市山を訪れる
長かった猛暑も過ぎて涼しい秋晴の朝を迎えたこの日、25名の参加で木ノ本駅を出発。 行市山への登山口は毛受兄弟の墓所「毛受の森」です。ここは地元集落の墓地でもあり、旧余呉町のシンボル木のトチノキが植樹され、足元には落ち葉とトチの実がいっぱいの中、登山の行程、毛受兄弟物語りの概略などを解説して入山。登山道は大体緩やかな稜線で、中谷山砦跡、別所山砦跡などを見学して進むと、設置されたロープにつかまりながらの急坂の難所が1か所あります。ここを注意深く登りきると最初のビューポイントに。伊吹山、小谷山を遠望し、その手前には田上山、堂木山など秀吉方の砦跡を見て戦場に想いを馳せる。やがて佐久間盛政砦跡で郭、堀切などを確認し行市山山頂に至ると再び戦場一帯を見下ろす景観に歓声が上がる。ここで昼食、記念写真を済ませ、下山はうって変わって足取りも余裕をもって進む。途中の立ち寄り所は林谷山砦跡。ここが毛受兄弟達が立てこもって秀吉方の猛攻撃を食い止め、勝家脱出の時間を稼いだ身代わり大作戦の激戦地で、兄弟の忠臣振りにいたく感動した秀吉が手厚く葬らせた墓所は元はここにあり、その後毛受一族を家臣に迎えたと伝わります。柴田方砦群は主戦場が余呉湖畔へ移ったこともあって守備隊の伝承などに不明な点が多いものの、最近は戦国ファンの注目度も高まり、どうしても来たかったという神戸や東京からの参加者もあって帰路のバスは満足感一杯で木ノ本駅に帰着しました。