当ガイド協会企画のハイキングなどには、京阪神、中京方面など主に遠方からの参加者が多いのが実情です。ご案内する立場としては地元の方々にも参加いただき、地元の良さ、歴史などの再発見をしていただきたいと考え、このたび下記の通り賤ヶ岳、木之本宿、小谷城跡の3か所を選んでご案内する企画を実施することといたしました。ぜひご参加くださいますようご案内いたします。
9月25日(水)トピックス 淡海観光ボランティアガイド連絡協議会の 湖北ブロック交流研修会が行われました
本年度の湖北ブロック交流研修会が米原観光ボランティアガイド協会の主催により行われました。長浜市と米原市の3つのガイド協会員74名が山東学びあいステーションをメイン会場に旧山東町内の史蹟を巡る研修に参加しました。開会に先立つアトラクションとして詩吟朗詠錦城会の皆さんによる「郷土の英傑 石田三成」と題して、三成公の生涯と西郷隆盛による賛辞の詩が朗々と詠じられ会場を魅了しました。続いて開会に移り、米原市と長浜市のご来賓の祝辞、会長挨拶、活動報告の後は記念講演会として伊吹山文化資料館の高橋順之学芸員による「上平寺城と伊吹山」と題した、本日の研修コースにピッタリの内容で事前勉強することができました。昼食の後は2台のバスに分乗して現地研修です。いずれも近江ゆかりの武将、京極氏にまつわる史跡である上平寺城跡と清瀧寺徳源院です。京極氏はこの城を拠点に一時湖北の雄として君臨しましたが、その後の戦乱によりその地位を失ったものの、家系は各地に脈々と続き、特に関ヶ原合戦で徳川家康の信任を得たことで江戸時代には大名として存続し明治に至りました。その家系は宇多天皇を始祖とする千年に及ぶ系譜を誇ります。この京極家の菩提寺が徳源院です。境内には歴代当主の墓標の他に、バサラ大名として知られる京極道誉手植えと伝わる桜の古木や三重の塔、「幽霊の掛け軸」もあって見どころは一杯。大名気分で座敷からきれいに手入れされた池泉回遊式庭園を眺めて、ご住職による京極家物語に耳を傾けて研修を終わりました。
9月16日(祝)JRハイキング (賤ケ岳合戦の秀吉方最前線の砦跡を巡る)堂木山砦、神明山砦、茂山の攻防を偲ぶ
出発直前には目的地の山並みが白く雨模様になるもののミストシャワー程度に終わり、曇り空の下、猛暑はひとまず和らぐ中を堂木山砦を目指す。参加者32名の大半は戦国ファンで山歩きより砦巡りに期待が集まる雰囲気の中、ガイドの解説にも気が抜けないプレッシャーが。蒸し暑い道中も鳥打山の切通しに到着。小休止の後まず堂木山砦跡に登り、現地の測量図を参考に広い砦跡を見て回る。続いて神明山砦跡へ向かう。途中にある送電塔下からは柴田方陣営も見渡せる眺望を楽しむ。神明山砦跡では遠方からの早朝出発の方もあって、少し早めの昼食をとる。昼食後は合戦の最前線の砦群で行われた前哨戦の解説を聞いていただく。この砦群は合戦の主舞台とはならなかったものの、秀吉方守備隊山路正邦への調略と離反があって、戦局が大きく動くきっかけとなりました。ここから先が前田利家、利長親子が布陣した茂山へと続くが、この所在地が明らかではなく、ここら辺りと推定される平地で進駐と離脱のドラマを聞いていただく。戦乱の中での離脱は容易ではなく、殿(しんがり)として秀吉方の攻撃を一手に引き受け戦死した横山長隆の子孫はその功績により代々加賀藩の重臣となったのです。この離脱の道を辿って権現峠付近の林道との合流点に到着し、ここからの下り坂が山道であるもののれっきとした県道なのです。到着した余呉湖ビジターセンターで冷たい飲み物などを補給し、予定より早い電車で帰路に就いて頂くことができました。
9月14日(土)JRハイキング (浅井、朝倉VS信長、家康の激戦地へ) 姉川の土手を歩き姉川古戦場を巡る
集合場所の虎姫駅前にはその名前の縁からの虎神殿が祀られ、阪神タイガースファンの崇敬篤い(?)聖地でもあります。連日の猛暑で参加者は13名となりましたが、元気に駅を出発。道中はそよ風の吹く中、サルスベリやカンナの花々に癒されて国友鉄砲の里に到着し、戦国時代国内最大の鉄砲生産地の歴史を学び、吉川英治や司馬遼太郎の文学碑も点在する街中を散策する。ここから「ちはら公園」に着いて木陰で昼食とする。ここは、朝倉、徳川両軍が激闘を繰り広げ、真柄十郎左衛門が使用した血刀が地名の起こりとされ、姉川古戦場碑などを見学して激戦を偲ぶ。ここから野村橋を渡り家康本陣の岡山に至る。ここは江戸時代に勝山と称して家康の勝利を讃えたとされます。信長が陣太鼓を掲げたと伝わる陣抗の柳を過ぎて臥龍山系の最北端の龍ヶ鼻へ登る。ここからは古戦場全体を見渡すことができ、姉川を挟んで対陣する両軍の布陣が見えるような感覚に浸る。この山の麓は浅井長政方の猛将、遠藤喜右衛門が信長の陣営の奥深く切り込んで打ち取られたとされる所です。戦場を散策した後は涼しい北郷里まちづくりセンターで休憩、古戦場ゆかりのグッズやパンフレットを手にして路線バスで長浜駅に到着、解散となりました。
8月25日(日)JRハイキング(地蔵縁日でにぎわう木之本宿をゆったりと) 古い町木之本探訪
小学生1人を含む37人の参加者が木ノ本駅に集合。地蔵縁日も本日が最終日で、夜にはフィナーレを飾る大花火大会も。多くの露店で賑わう街中へのワクワク感を少し我慢して頂いて宿場町の歴史などの案内へ。まず駅前の昭和初期のレトロな雰囲気が残る江北図書館の外観を見て、建物内部の書棚なども見学し懐かしい本を発見して感慨に浸る方も。次に街中へ出、賤ヶ岳、牛馬市の解説を聞いていただく。牛馬市は戦国武将の山内一豊が良馬を買い求めたこと、この資金が妻千代のへそくりであったこと、それにより信長の覚えが良くなり出世に繋がったエピソードなどを披歴する。木之本宿巡りの入口は古い歴史の山路酒造で、ガイドの祖母はここの名酒「桑酒」を愛飲して健康に天寿を全うした話も。ここから坂道を登り意冨布良(おおふら)神社に到着。ここのご祭神の一座は梨津臣命で余呉湖羽衣伝説と藤原氏のルーツにも関係するガイド得意の話を熱く語るが、一部には首をかしげる人も。いよいよ縁日で賑わう地蔵院へ到着するも、猛暑で日中を避けているらしく意外にも人出は少なめで、本堂にお参りして地蔵尊の由来や奉納蛙の話を聞いていただき、旧本陣薬局、富田酒造や街並み見学の予定が、道端は露店で一杯のため避暑を兼ねて木之本交遊館で小休止。最後は地蔵坂から轡の森で羽柴秀吉ゆかりの伝説など説明しきれなかった話をふんだんにして13時に解散。ここから自由行動で、縁日の散策と買い物を楽しむ方や昼食会場の木之本塾へ向かう人も。塾とは言うものの勉強ではなく手打ちそばなのですが、これが好評で塾スタッフもにっこりのハイキングとなりました。
8月17日(土)JRハイキング(賤ケ岳合戦柴田勝家渾身をこめた地)山城の傑作、玄蕃尾城跡を訪ねて
台風7号のもたらす北風のため天気予報は芳しくないものの、人気のコースとあって京阪神、県南部等から26名の参加があり、木ノ本駅から路線バスで柳ケ瀬バス停に到着。ここからの道は一部に急斜面があるものの旧街道のため概ね緩やかで、朽ちた電柱も見られ往時が偲ばれます。期待に反し風が弱く蒸し暑い中を小休止を挟みながら倉坂峠に近づくと心地よい風も吹き抜けました。ここから急坂を登り切り城跡に到ると、まず虎口で防御の構えを体感し、そこから深い空堀、土塁、土橋跡など戦国築城の粋と言われる全体像を見て回る。この城跡は続100名城の中でも特に行きにくい立地のため、ぜひともここへ来たかった、来てよかったとの感想も。主郭、櫓台跡で昼食後は敦賀市側登山口へ一旦降りて続100名城スタンプとパンフレットを頂き、この頃一時的なミストシャワー並みの雨で気温も27度程度に低下する中、来た道を柳ケ瀬集落に下山。ここにはアメダスも置かれ、江戸時代の関所門と明治天皇行在所、旧北陸線駅跡などもあり、かつての賑わい跡を見学して予定通り路線バスで余呉駅へ帰着、解散となりました。
8月11日(日・祝)奥びわ湖ハイキング(山の日記念事業) 史蹟西野水道と古墳群から有漏神社を目指す
連日の猛暑の中にも11名の参加がありました。集合場所の西野水道史跡公園では江戸時代の難工事を学び、新トンネルで一旦琵琶湖岸へ出て排水路の役割を確認。古保利古墳群へは日陰の林道を選び、峠の八ツ岩支群と呼ばれる終末期の横穴式古墳群を観察。続いて古墳時代初期の前方後円墳である深谷古墳が素人目にもよくわかる形状を残し、しかも琵琶湖側からしか見えない立地もこの古墳群の特徴をよく確認できます。ここから目指すのが阿曾津千軒跡地。ここは琵琶湖周辺に伝わる水没集落の伝承地の一つで、地蔵堂も祀られかつての様子を偲んでいただく。ここから湖岸に出ると奥琵琶湖の景色に歓声が上がりました。青い湖面から打ち寄せる波と澄んだ水、心地よい風に遠くの湖面を走る帆柱の群れ。この湖岸を赤く彩るのがゴマの木の群生。花に詳しい女性からの助言とこの実を試食してみる猛者もあって賑やかな休憩となりました。ここから峠道を越えて到着するのが最終目的地の有漏神社です。山梨子集落の神社でありながら正式な参道はなく、かつては船で参拝したとも言われますが、今では集落の公民館に分霊を祀られています。秘境の神社として注目されていますが、境内や社殿はきれいに整備され大切に祀られていることが分かります。ここの湖岸で昼食の後、同じコースで集合場所に帰着しました。
7月28日(日)JRハイキング 元亀争乱と一向宗を考える 五村別院と虎御前山縦走
晴天、猛暑の中にも虎姫駅には19名もの方々に集合していただきました。スタートは教如上人ゆかりの五村別院参拝です。御堂の中では長浜市内にはなぜ東本願寺派のお寺が多いのか、織田信長と本願寺の戦いなど「元亀争乱と一向宗」についてお話をさせていただきました。次に玉泉寺に向かいました。この寺は「比叡山の中興の祖」といわれる良源(元三大師)の生誕地に建てられた天台宗の寺院で、「厄除け・魔除けのお大師さん」としても知られ、皆さん熱心にお参りされていました。また京都の廬山寺(ろざんじ)は、元三大師創建の寺で現在の場所は紫式部の邸宅跡であったとされ、良源と紫式部は同時期に生きた人でした。ここからの道中には虎御前山と小谷山の両方が見え、小谷城攻防戦の現場を確認して、虎姫時遊館というコミュニティー施設に到着。当館のご厚意により涼しい中で昼食をとらせていただき、展示中の能面見学や「虎御前山古砦図(写)」で虎御前山の砦群の説明も聞いていただくことができました。午後は虎御前山の縦走です。絵図に出てくる8名の武将(多賀貞能、蜂屋頼隆、丹羽長秀、滝川一益、堀秀政、織田信長、木下秀吉、柴田勝家)の砦跡を順に巡りました。木が茂るこの季節はなかなか小谷山が見えませんが、竹生島、山本山、横山、伊吹山などを見ながら元亀争乱に思いを馳せ、予定通り15時には河毛駅に到着。駅前の長政公・お市様の像の前で小谷山を背景に記念撮影して無事解散となりました。
7月7日(日)JRハイキング (大河ドラマの関連地) 紫式部が通った深坂古道を往く
雨、熱中症が心配される天候にもかかわらず39名もの参加があり、関心の高い大河ドラマゆかりの古道ハイキングとなりました。今回は敦賀市側の新疋田駅から出発して、疋田集落に残る舟川の水路を見学する。この川は敦賀港から琵琶湖への運送路の内、川船を利用した江戸時代の一種の運河でした。次に越前朝倉氏の出城であった疋壇城跡へ。ここは織田信長の攻撃により落城しましたが、石垣、土塁、巨石が多数残っています。その後一旦新疋田駅に戻りここで昼食を済ませていよいよ深坂古道へ。谷川沿いの緑濃い道を進むと、やがて紫式部の歌碑に出会う。長徳2年(996)、父、藤原為時が越前の国司として赴任する際に同行してここを越えた時のものです。続いて万葉歌人の笠金村の歌碑もあって、この辺りは古代の関所「愛発(あらち)の関」のあった所とも言われる交通の要所でした。やがて深坂峠を越えると通称「堀止め地蔵」と呼ばれる地蔵堂に至る。ここはいくつかある敦賀~塩津運河計画のうち平清盛が計画した工事で大岩に突き当たって掘削を断念したという、その岩が地蔵様の由来として祀られています。そこから問屋跡などを見ながら古道から外れて現在の国道8号線の近江鶴ケ丘バス停へ出る。この近くのかつての「孫兵衛茶屋」(2023年11月に閉店)の西村家のご主人により庭園なども見学させていただく幸運に恵まれ、バスで近江塩津駅へ到着、解散となりましたが、参加の皆さんから「すばらしいハイキングでした」とのうれしい感想をいただきました。
7月6日(土)JRハイキング 湖北観音巡礼シリーズ第22弾 観音霊場を訪ねるテクテク旅
梅雨時の天気予報で連日の雨一色だったため参加者は6名に激減したものの、朝の一時的な雨の後は予報外れの幸運に。まず永原駅で軽く準備体操をして、最初の訪問先の曹洞宗普門山徳圓寺では門徒さん総出による草刈り作業中にも関わらずご住職が手を止めて説明してくださる。本来33年に1度しか開帳しないところ特別に拝観させて頂き感激に浸る。次の真宗善隆寺和蔵堂では収蔵庫に安置される重要文化財の十一面観音様を拝観の後、本堂の仏前で昼食をとらせて頂く。午後は一転して日差しが強くなり少々疲れ気味でも十一面腹帯観音堂に到着。涼しいお堂に冷たいお茶の接待までして頂き感謝感激。観音様の数奇な来歴など世話役さんのお話に耳を傾ける。巡礼を終えて最後は北淡海・丸子船の館を見学。ここはかつて栄えた琵琶湖の船運の歴史を物語る丸子船の実物が展示され、湖上交通の歴史について説明を受けた。ここでのサプライズは隣に最近オープンしたばかりの古民家カフェのご主人との会話が弾み名残り惜しくなったが、予定時刻も迫り永原駅を目指す。暑い道中だったものの地元の世話方の皆さんの温かいおもてなしに感動のテクテク旅となりました。