4月21日(日) JRハイキング 好評“おとちの岩窟”春コース 敗者石田三成が再起をかけて潜伏した岩窟へ

毎回人気のコースで、今回もキャンセル待ちも含め30名以上の申込みだったのですが、天気予報が固まるに連れ14名の参加にとどまりました。比較的低い山とは言え雨の中の登山はガイドとしては細心の注意を払うところ。出発時点では曇り空でも安全確認と注意事項を徹底して登山開始。とりあえず鉄塔下の見晴らしの良い所で早い昼食をとることを目標にし、どうにか小降りの間に済ませることができ一安心。その後雨脚が強まりガスもかかり始めたため隊列が途切れないよう徹底するなど安全策が奏功して予定より早く岩窟に到着することができ、心配していたメインイベントの洞内探検にも10人が挑戦し、大いに満足していただくことができた。下山道はうって変わっての急坂のため、一層足元に細心の注意を払い慎重に声を掛け合いながら無事林道へ。皆さん一様に達成感や感激、感動の言葉で盛り上がり、三成ファンの熱い情熱と健脚で人気コースを終えることができた一日でした。

登山口で注意事項を徹底 
少しガスがかかってきましたので慎重に
見晴らしの良い鉄塔下まだ小降りです
万全の雨装束で笑顔がいっぱい
ガッツポーズもピースサインも ついにやって来たオトチの岩窟に感動のひと時
無事林道まで下山

4月20日(土)JRハイキング 春爛漫の賤ヶ岳と余呉湖を楽しむ    (武将も駆け抜けた砦跡と湖畔を歩きませんか)

好天に恵まれ、京阪神方面からも多くの参加があり総勢36名で余呉駅を出発。まず余呉湖利水と羽衣伝説に関係する式内社の乎彌(おみ)神社に参拝し、秀吉方の岩崎山砦跡へ上がる。ここはキリシタン大名の高山右近が守備しましたが、敵襲に戦わずに撤退したことで知られます。ここから次の大岩山砦跡へ。ここは中川清秀以下の守備隊が全滅したのですが、江戸時代に墓地として整備された名所で、現代まで途切れることなく維持されています。ここから数か所の坂道をもろともせず賤ヶ岳山頂へ。ここまでの疲れを一気に吹っ飛ばしてくれたのが「賤ヶ岳の大観」の景色。やや霞がかかっていたものの両方の湖面を見下ろしての昼食でくつろぐ。午後は余呉湖畔へ下り、サワオグルマ群生地も満開寸前の花盛り。近年は群生地が周辺の湿地帯に広がり黄色の湖畔の風情を見せる。ソメイヨシノの後を受けて咲き誇るのが濃いピンクの八重桜。この花の下の園地を歩き、予定通り余呉駅に帰着、解散となりました。

道端の小さな花も見逃さずに
岩崎山砦跡を散策
林道から大岩山砦跡へ
大岩山砦跡の中川清秀公と家臣団の墓標前で
余呉湖畔のサワオグルマ群生地で記念写真
八重桜の下の園地を歩く
お花畑を散策

4月19日(金)トピックス  奥びわ湖観光ボランティアガイド協会現地研修 「紫式部ゆかりの地をゆく」を実施しました

今年度の現地研修の第一弾として、大河ドラマに合わせ紫式部ゆかりの地を訪ねました。長徳2年(996)、父藤原為時に同行して越前国へ下向する紫式部(24才頃か)は、平安京から逢坂を越え、大津の打出浜から船出して塩津の港に上陸。そこから塩津山を越えて敦賀に入り、更に木ノ芽峠を越えて国府のあった武生(現越前市)に行ったとされます。 今回の研修は、塩津海道と紫式部の塩津山越えの道を追体験しようとするものです。紫式部はこの道を輿に乗って通ったのですが、輿担ぎの男たちが「いつ来てもこの道は難儀だな」と愚痴るのを聞いて詠んだのが、「知りぬらむ 往来(ゆきき)にならす塩津山 世に経(ふ)る道は 辛きものぞと」の句です。お前たちよ、人生とはこの道のように辛いものだと知らないのか、と言う意味だそうです。若い女性としてはなかなかの上から目線の句ですね。この道は中世には深坂古道として栄えた北陸と琵琶湖水運を結ぶ重要な街道でしたので、道中には問屋場跡や日本海とを結ぶ運河計画が頓挫したという堀止め地蔵を祀るお堂もあって、ハイキングコースとしても見どころが沢山あります。今後注目が高まる事でしょう。

古道へ降りて行きます
深坂古道入口案内板で
道中にある何かの祭祀の場所?
すぐに問屋跡の石垣があります
堀止め地蔵堂に参拝 地元の方によりよく整備された霊地
祀られている堀止め地蔵は運河計画を諦めたという故事による
深坂峠 研修はここまで この先に紫式部の歌碑があります

3月31日(日)JRハイキング(浅井・朝倉VS信長・家康の激突地へ) 姉川の桜堤を歩き姉川古戦場を巡る

去年に合わせて「桜」を期待した企画が、あいにく遅い寒波に開花が遅れたため「♬梅は咲いたか、桜はまだか…」の気分でしたが、朝から春本番並みの陽気に京阪神、愛媛、静岡からのファン23名で虎姫駅を出発。姉川堤防道はガイドや参加者の気持ちを少し察したかのような一分咲きのピンク色でお迎え。国友鉄砲の里散策の後は朝倉軍と徳川軍の激戦地の「ちはら公園で」花見弁当(?)を楽しむ。午後は、古戦場戦跡碑、家康本陣跡の岡山から信長本陣跡の陣杭の柳と進み、臥龍山系北端の龍ヶ鼻へ登る。ここは茶臼山古墳として整備もされている一帯を見渡せる眺望地ですが、合戦では浅井軍の猛攻で信長軍が一時窮地に立たされたという伝承地でもあります。折しも本年は辰年で、辰にまつわる臥龍山系先端部に来れて意義深いとの感想も聞かれました。小谷城攻防戦へとつながる元亀騒乱の舞台をつぶさに体感して、帰り道は北郷里街づくりセンターからの路線バスで予定通り長浜駅に帰着、解散となりました。

国友鉄砲の里 国友一貫斎屋敷を見学
堤防道は一分咲き!
姉川古戦場の看板が見えてきました
堤防から合戦の様子を見物?
古戦場看板で記念写真
龍ヶ鼻から古戦場を俯瞰 戦況は如何に
織田信長陣跡「陣杭の柳」で

3月30日(土)JRハイキング(小谷城落城に迫る) 秀吉の攻略ルート「水の手谷」を登る

好天に恵まれ、関西方面を中心に岐阜・愛知県7名のほか愛媛県の方もあって総勢27名で出発。このコースは道なき道をよじ登るため草木の茂る前の今が絶好の季節。小谷城攻防戦の攻め上がる羽柴方軍勢の追体験ルートのため、戦国ファンには人気の企画です。まず城下の北国脇往還の郡上宿で江戸時代を偲んでいただく。続いて小谷城戦国資料館前で「水の手谷」ルートなどを念入りに確認して、いよいよ大野木曲輪を経て京極丸の虎口へよじ登るルートに挑戦。急斜面を木の枝をつかみながら京極丸の虎口へたどり着くと、皆さんひと安心。ここで昼食や記念写真などゆっくりすごしていただく。午後は山王丸から六坊へ降り、横掛けの道から再度京極丸、本丸へ。本丸横には大規模な土木工事で造られた大堀切があり、この堀切の上段の京極丸に入った信長は小丸の浅井久政を、本丸の長政を攻めて小谷城は落城したのでした。攻防戦の一大ドラマの現場を追体験した一日を堪能していただき、全員無事に下山しました。

小谷城戦国歴史資料館前で
北国脇往還郡上宿で
水の手谷の攻略ルート 今は敵の攻撃は有りませんが、心して登りましょう
京極丸虎口跡で 記念撮影と昼食で一息
本丸横の大堀切

3月23日(土)JRハイキング (仏さんに出会う湖北路の楽しい旅です)重文の観音・如来を訪ねてウォーク

人気の仏さんに出会う旅に20名近い予約があったのですが、残念、冷たい雨の降る予報でキャンセルが相次ぎ、5名(神戸・京都・県内3名)で木ノ本駅をスタート。最初の木之本地蔵院では先を急ぐため十分参拝できずに古橋の集落まで雨の中を歩く。ところが宝物館の己高閣・世代閣では、雨のためか他の拝観者もなく世話役さんの説明をじっくり聞きながら質問も飛び交う中で諸仏の拝観ができるという幸運に。予定時間を過ぎ、未練を残しながらも次へ。途中の鶏足寺参道では紅葉シーズンの賑わいの感慨にふける間もなく石道寺に到着。ここでは拝観の後休憩所をお借りしての昼食タイムで少しホッとする。予報に反し午後も雨。それでも尾山釈迦堂、赤後寺と廻りほぼ予定時間に木ノ本駅に到着。その頃雨はようやく小降りとなる。雨の長道中であったものの、ゆったりと拝観できたこと、雨中のハイキングは水墨画を連想させる山々の景色が素晴らしく、雨ならではの貴重な体験ができた、など嬉しい感想をいただいたのが何よりでした。次回はぜひ好天のもとにご案内したいものです。

石道寺で 重文の観音様を拝観
仏様のお顔を間近で拝観して説明していただく
井明神橋で 石道寺からの道中にある橋 この下の高時川ではかつて激しい水争いがあったことも話題に
赤後寺で記念撮影 ここの観音様はコロリ観音として有名です

3月20日(祝)JRハイキング   (山越えで琵琶湖へ お昼は好評近江牛丼)     えっ!これが昔の子どもの通学路?

今朝のテレビは強風、雷、吹雪の最悪の予報を伝える。そんな中にも16名の参加をいただき、木ノ本駅からまず賤ヶ岳の麓、大音の伊香具神社まで歩く。大鳥居の参道を経て特異な形の社前の鳥居から参拝。この集落にあるのが伊香具小学校。琵琶湖側の山梨子の集落からこの学校への昔の通学路が山越えの難路で、これを体験するのが本日のメインであったのですが、雨予報のため旧国道のトンネル越えに変更し、山梨子へ到着。ここまでは予報に反し小雨程度の天気で無難に経過。さて昼食は、民家を改装した素敵な宿泊施設のご主人のご厚意により、琵琶湖を眺めながら牛丼に舌鼓を打つ。この沖合が紫式部が越前へ赴く舟路と、その先の塩津深坂峠越えとあって、ちょうど大河ドラマの展開に合わせた話題も織り交ぜ、湖岸から有漏神社鳥居を遠望して帰路へ。ここからが予報通りの悪天候になり、横殴りのみぞれ混じりの雨の中をひたすら駅へ。足元がすっかり濡れて全く申し訳ない気持ちでご挨拶してのお別れとなりました。

伊香具神社の鳥居 ここは天女伝説にも関係します
トンネルを抜けると・・・
山道をあきらめて旧国道8号線のトンネルへ
・・・そこは琵琶湖でした 遠くには竹生島
本来は左斜面のような道を行く筈でした
琵琶湖畔の民家を改装した素敵な宿
宿のレストランで記念撮影 窓から見る沖合が紫式部が通った琵琶湖

3月17日(日)JRハイキング (余呉から木之本へ 北国街道江戸旅体験) 伝説の式内社と北国街道・木之本宿を巡る

朝から時おり小雨が降り、天気予報も午後からの雨を予報。ところがガイドの心配も杞憂に終わりラッキーな一日となった。雨具も準備の京阪神方面をはじめとした18名のファンが余呉駅に降り立ち、江戸旅体験のハイキングへ。まず江戸時代初頭に余呉湖から流出する川の掘り下げ工事が行われたのが下余呉の枝郷の江土(江戸)の集落。ここの神社が天女伝説ゆかりの式内社乎彌神社。ここから旧北陸本線跡の国道で鉄道の新旧歴史を解説。おりしも前日には北陸新幹線延伸で北陸本線は米原から敦賀までの極短距離線になったところ。坂口の集落に至り、菅山寺、近江天満宮の大鳥居へ。この登山口脇にあるのが江戸時代から続く菊水飴本舗。大名や旅人たちがこぞって買い求めたという銘菓を参加者の皆さんもしっかりお土産にして、意波閉神社で昼食。賤ケ岳サービスエリアに隣接するためここで現代のお土産も手に、黒田神社、黒田家御廟所へ。この頃雨はないとの確信で木之本宿へ向かい、一里塚跡、山内一豊ゆかりの牛馬市跡、酒屋、木之本地蔵院、旧本陣宿など宿場町をゆっくりと巡ることが出来て解散となった。

天満宮大鳥居 菅山寺への登山口
乎彌神社 橋の下を余呉湖湖水が流れる
     右の写真とも撮影日は別

菅原道真公ゆかりの紅梅も咲く
菊水飴本舗店頭で
黒田家御廟所で記念撮影
木之本宿を散策 老舗の酒屋と伝馬所跡

3月16日(土)JRハイキング(山歩きの好シーズン)小谷城跡を探訪―石垣めぐり

好天に恵まれ、京阪神に加え静岡からの参加者もあって、総勢50名の山城ファンが河毛駅に集合。大勢の方に有意義な体験をしていただくために2組に分かれ、資料館―番所―本丸―京極丸―山王丸―六坊―大野木屋敷―御屋敷のコースを巡りました。担当ガイドは小谷城に精通したベテランガイドで、昨年の小谷城築城500年記念講座「はじまりは小谷城」での知識も加わり、参加者の皆さんも熱心に聞いていただきました。テーマは石垣、「小谷城は石垣の城」を陣所の各所で実感していただき予定通り無事下山できました。

黒金御門跡付近 羽柴秀吉に壊された大石垣の跡
本丸南面の石垣 小さな石積みの石垣 2組合流して楽しい昼食で一息
京極丸虎口跡 秀吉軍が攻め込んだ所 ここで記念撮影
山王丸南面の石垣 山王丸は三方を石垣で囲まれ本丸と言う説も
山王丸大石垣 見事な野面積みの石垣がそのまま残る
大野木屋敷跡の石垣 清水谷への下山途中にある巨石の3段組

3月10日(日)JRハイキング 決戦姉川直前、決断の地  浅井・朝倉軍と信長・家康軍の布陣地へ

いよいよハイキングシーズン到来、ではありますが、前夜までの思いがけない遅い雪で山々は雪化粧。朝には寒い北風の日和ながらまずまずの天候に恵まれ京阪神、静岡、和歌山などからの戦国ファン31名が虎姫駅に集結。田園地帯を歩いて道の駅「浅井三姉妹の郷」で小休止後、岩崎山登山口から浅井・朝倉方の布陣地を目指す。姉川の合戦場を見下ろす展望所では当時に思いを馳せられ、決戦に臨む軍議があったとされる陣跡から標高360メートルの大依山山頂へ。ここで数センチの積雪があり、雪のない地からの参加者は大喜びで、思わぬプレゼントに悪路を心配したガイドとしては一安心。朝の電車到着が30分遅れたのですが、ここから健脚ぶりを発揮され、難なく遅れを取り戻して予定通り虎姫駅に帰着、無事解散となりました。

岩崎山登山口に集結の皆さん
姉川古戦場を望む展望所 決戦に臨む浅井、朝倉方武将に思いを馳せる
浅井長政陣跡で 軍議ならぬガイドの解説を聞いていただく