6月29日(日)JRハイキング(絶景の賤ヶ岳 糸引き唄鑑賞) 決戦!賤ヶ岳と絹糸の里探訪

思いがけない早い梅雨明けで、雨の心配がなくなったとは言え今度は猛暑が影響したか、3名のキャンセルがあったものの23名の参加で木ノ本駅を元気に出発。道中の田園地帯では米作りの農業事情や余呉川の防災工事などの話題を取り混ぜて、最初の目的地の大音集落の糸取り工房に到着。糸取りとは蚕の繭から絹糸を取り出す伝統技術で、ここで行われる作業を特別に見学できる貴重な体験とあって皆さん興味津々に覗き込み、もっと深く知りたいという気持ちを残して次の賤ヶ岳リフト乗り場へ向かう。山頂では雄大な景色を見下ろして思い思いの場所で昼食タイムとする。ここでのガイドは賤ヶ岳合戦の戦況推移が主となるものの、余呉湖の羽衣伝説や古保利古墳群など古代史の話題にも花が咲き、邪馬台国伝説もあると言う話になると、これにはさすがに「ここにもかっ!?」という反応も仕方のない事。リフトで下山して集落の式内社伊香具神社に参拝する。ここの鳥居は三輪式鳥居と厳島式鳥居がミックスされた特異な形をしているのが特徴で、古代のある時期まで神社の前は湖水で、そのため水の神と山の神が祭られている由緒などを説明する。暑さが心配になり帰路は黒田家御廟所に寄る予定を省略して木之本塾へ向かう。ここは町おこしの拠点でちょうど養蚕にまつわる「糸引き唄」を継承されているグループの唄と演奏を楽しんで頂き、糸取りの現場の情景と思いを重ねる体験に大きな拍手でハイキングを終えることができました。

足取りも軽く大音集落へ向かう 正面が賤ヶ岳
糸取り工房を見学
鮮やかな手さばきに見惚れる 
繭の浮かぶ鍋はかなりの熱湯です
山頂からの雄大な景色は琵琶湖八景の「賤ヶ岳の大観」と称される

山頂で記念写真 
伊香具神社 この鳥居の形が特異です
ハイキングの締めは「糸引き唄」 糸取り現場の情景が重なります  

6月4日(水)トピックス 淡海観光ボランティアガイド連絡協議会  令和7年度交流研修会が行われました

滋賀県下の全観光ボランティアガイド協会が一堂に会して交流と研修を行う集いが、湖北ブロックのガイド協会の主催のもとに開催されました。今年は例年と違って、湖北ブロックの米原、長浜、奥びわ湖の3つのガイド協会の会場での分散開催となりました。私たちの会場は「きのもとスティックホール」をメイン会場にして、146名の会員をお迎えして実施しました。メイン会場では長浜市長(副市長代理)の祝辞などに続き、日ごろのガイド活動を映像により紹介しました。その後は現地研修への案内です。多様なご希望に応えるため4つのコースを準備しました。Aコースは木之本の街中散策としてコース名「北国街道木之本宿散策と豊臣兄弟ゆかりの地蔵院参拝」に34名、Bコースは「リフトで登る賤ヶ岳 湖北を一望し戦国の歴史に思いを馳せる」に59名、Cコースは「賤ヶ岳七本槍が活躍した余呉湖周辺と決戦地巡り」に25名、Dコースは「近江の偉人が村を救った洞門 西野水道と人気の観音参拝」に27名、と分散して参加していただき、各コースには当会メンバーの大半がガイドとサポートとして随行しました。この日は好天に恵まれ、各コースはほぼ計画通りのメニューをこなせ、無事予定の時間に終了することができました。そこで気になるのが参加の皆さんの評価ですが、アンケートではマイナス評価への気遣いを差し引いても、概ね高い評価をいただき一同一安心でした。交流研修会はガイドの心構えやおもてなしの心などお互いの研鑽と向上を目指すもので、また来年も有意義な大会となることを期待します。

開演を待つ参加者
会場受付
式典の様子
ガイド活動紹介
Aコース 木之本宿を案内
木之本地蔵院・浄信寺
Bコース 賤ヶ岳山頂で賤ケ岳合戦の解説 余呉湖方面を見下ろす
反対の琵琶湖を見下ろす 南湖方面はややかすむも竹生島を見る
Cコース 余呉湖畔で 天女像前で伝説を偲ぶ
賤ケ岳合戦の決戦地 毛受兄弟の墓所でベテランガイドが解説
Dコース 地元公民館で事前研修
お堂に参拝 地元の世話役でもあるガイドの解説
全員が通り抜けました!
西野水道探検 この入口から入り

6月7日(土)JRハイキング(ササユリとコアジサイの群落に酔う) 生物多様性の山門水源の森へ

この季節、山門(やまかど)水源の森は新緑の中にササユリとコアジサイなどの花々が咲き、初夏ならではの風景は錦秋の時期と共に人気のシーズンを迎えています。ここを求めて39名の参加者が永原駅に集まりました。その内何と9割方が花好きの女性とあって、一層華やかさが引き立つ中、入念に準備体操を済ませて出発。目的地までは一般道を約2時間歩くという行程ながら順調な足取りで入口の「森の楽舎(まなびや)」に到着し、昼食とする。ここから沢道コースを取り、小さいながらも勢いよく流れ落ちる急流に沿って歩く。狭い山道でこの人員ではさすがに隊列が伸びるため4名のガイドが分担して先導と案内に勤める。コアジサイの群生地はピークを迎え白い花が一面に広がる。ササユリはもう少し先の様子にも、ところどころに咲く花を見つけ写真に収める事に余念がない。「これが見られただけでも満足」の声を聞くと一安心。「四季の森」に到着し、記念写真をとって休憩する。新緑に包まれたこの森も秋には見事に色づく場所とあって皆さんあらためて景色を堪能する。道中の湿原や道端には小さな花も咲き、丹念に写真に収める姿も。参加者の中には84才の高齢の方もおられたものの、全員無事に下山し12キロメートルを歩き終えて路線バスで近江塩津駅へと向かいました。

目的地までの一般道は少し長めですが
水源の森からの渓流の沢道を登る
四季の森で記念写真
木漏れ日と爽やかな風の道を行きます
付属の湿地では小さな花も写真に収める
コアジサイの群生地は花盛り
ササユリももうすぐ咲き誇ります

5月31日(土)JRハイキング (信長・秀吉の小谷城攻め)信長の軍道と虎御前山をゆく

雨予報のため少しキャンセルがあったものの、戦国ファン16名で虎姫駅を出発。今回のテーマは、小谷城落城の前年、元亀3年の小谷城攻防戦を体感することです。この年の夏に信長軍は5万人の兵力で押し寄せ、2ケ月に渡る攻防戦が展開されました。まず、信長は横山城と虎御前山の間に宮部砦を築き、宮部継潤を配置しました。その砦跡と伝わる宮部神社を地元のガイドさんに案内していただき、皆さん興味津々で境内を散策されていました。この宮部継潤は後に羽柴秀長の家臣として鳥取城主となった武将です。次に、信長は宮部砦と虎御前山の間が悪路であったので、幅6mの道路を築きました。現在、田んぼの中に斜めの道が残されていて、戦国街道と呼ばれています。信長はこの道の小谷城側に3mの高さの土塁まで築いています。私たちはこの道を激しい攻防戦を想像しながら歩き、元三(がんざん)大師の生誕地である三川の玉泉寺にお参りさせていただき、お札をいただきました。ここで雨となり交流施設の虎姫時遊館で昼食をとり休憩。午後は小雨の中を虎御前山へ向かいました。小谷城に対峙するこの山全体に信長軍の砦が築かれ、丹羽長秀、羽柴秀吉、信長などの砦群を散策しましたが、今では茂みにさえぎられ眺望は望めなかったものの、参加者の皆さんには攻防戦を体感して頂いたハイキングとなりました。

宮部神社 ここも砦跡と伝わります
宮部神社で記念写真
戦国街道の軍道をゆく
元三大師生誕の地 玉泉寺に参拝
虎御前山へ 丹羽長秀の砦跡から上がります
信長の砦跡 山頂には各武将の砦跡が続きます

追録 虎姫駅前2題

元三大師は延暦寺の高僧でおみくじの元祖とも言われています 
駅名の虎に因んで、タイガースファンの聖地として神社も!
にぎやかな応援メッセージや絵でいっぱい

5月24日(土)JRハイキング(菅原道真と戦国の羽柴秀長ゆかりの地探訪)新緑の菅山寺から田上山城址を行く

天気予報が雨に固まるに連れてキャンセルが相次ぎ10名の参加で余呉駅をスタート。予定のコースを少し短縮して程なく菅山寺への登山口となる坂口の大鳥居に到着。案内看板で行程を確認していよいよ急坂に挑むが、そこはしっかりと心構えした健脚の皆さん、小雨の中も黙々と歩いて途中の坂中地蔵に至る。ここで小休止して「見返り峠」を目指す。雨は小康状態で気温も適度とあって「雨の山歩きもまんざらでもない」との声もあり、眼下の眺望を楽しむ。ここから一転して急坂を下って菅山寺の境内に至り、護摩堂の軒下で昼食とする。小雨の中、境内は一層静寂に包まれ古木、巨木に悠久の歴史を偲び、朱雀池、菅原道真公を祀る菅原神社などを散策して見返り峠の尾根に戻る。ここから田上山へは比較的なだらかな尾根道が続くが、昼食後とあってやや足取りは重く感じる。田上山城址では来年の大河ドラマの主人公羽柴秀長の陣所とあってガイドの説明にも力が入る。参加の皆さんは広い砦跡を探索して戦国時代に思いを馳せ、そこからは一気に木之本の街へ下山する。一部行程を短縮したことと健脚ぶりにより予定より早く木ノ本駅に到着して1本前の電車に間に合い、雨の中も大いに満足して頂いたハイキングとなりました。

余呉駅前 雨にもかかわらず参加の皆さん
登山口の大鳥居前で行程の確認 鳥居の後方の山に目的地の菅山寺があります
菅山寺のシンボル欅の古木と山門 菅公お手植えと伝わる木も右が近年倒壊しましたが、左の木は今年も若葉をつけて健在です 周辺はシャガの花畑
本堂前 鐘楼の鐘は麓の宝物館に降ろされています
森閑とした境内には歴史を偲ぶ古木が林立します
朱雀池 菅公ゆかりの姿見石もあります モリアオガエルや錦鯉も泳ぎます
第二の目的地の田上山砦跡 測量図で砦全体の解説をするガイド
砦の土塁跡など広い砦跡を散策

5月18日(日)JRハイキング(明治から昭和にかけての産業遺産鉱山跡) 秘境の人気スポット・土倉鉱山

心配された天気も曇り空で経過し、県内外からの25名の参加者があり路線バスは満席で木ノ本駅をスタート。終点の金居原に到着し、集落の交流施設「合歓の里工房」で昼食を取らせていただく。その後国道を約30分ひたすら歩いて鉱山跡への分岐路に到着。ここからは出口土倉と呼ばれた最盛期の中心地になり、500人の従業員とその家族など1500人が暮らした街の跡で、事務所・映画館・分教場・診療所・スーパー・共同浴場など往時の賑わいを偲んでいただく。さらに進むと鉱山施設跡に到着する。銅鉱石の巨大な選鉱場跡が目の前に現れ、皆さん驚きの眼でみる。ここで土倉銅山の歴史について解説する。明治40年に岐阜県の中島善十郎氏が銅鉱石を発見したのが始まりで、その後鉱山企業が買収して採掘を始め、最初は手掘りで次いで削岩機と近代化し、運搬も大八車から馬車へさらに索道で木之本へ搬送した。最盛期には年間5000トンを生産したが、戦後の貿易自由化により海外の製品に対抗できなかったこと、埋蔵量の低下などで昭和40年に閉山しました。さらに新緑と清流の山道を約2Km進んで奥土倉へと案内する。山間にわずかに残る最初の選鉱場も新緑に包まれ、廃墟の姿との対比がまた感傷を呼ぶ。そこで集合写真を撮って下山して再び合歓の里で鉱山最盛期の人々の暮らしぶりなどの展示を見て感慨を新たにして帰路に就きました。後日すごいところへ案内してもらったと嬉しいメールをいただきました。

新緑と廃墟の対比が哀愁を呼びます
鉱山の歴史などを解説
坑道入口跡 ここから作業員を載せたトロッコが採掘に向かいました
奥土倉への新緑の道
奥土倉で記念写真
合歓(ねむ)の里で最盛期の鉱山の様子や集落の歴史を学ぶ

5月11日(日) JRハイキング (新緑の山に仏教文化の史跡を訪ねる)  樹齢1000年の逆杉を訪ねるトレッキング

朝から曇り空で快晴のハイキング日和とはいかないが何とか夕方までは持ってほしいと祈る。今回も人気のコースとあってバスのほぼ定員一杯の23名の参加者。木ノ本駅発のバス待ち時間を利用して賤ヶ岳や北国街道の説明、特に来年の大河ドラマの舞台と期待される田上山砦に今年度から始めた木ノ本駅からのディスカバーウエストのコースを案内する。バスの中でも他のお客さんがおられなかったので周囲の景色の説明をしながら井明神バス停に到着。石道寺の駐車場で改めて準備運動をしていよいよ出発。最初は歩きやすい林道であるが途中から険しい山道。小休止を入れながら歩くこと1時間、ようやく目的地に到着。そこは新緑のもみじが目に眩しい高尾寺の境内跡。参加者の皆さんから「きれい」「すばらしい」等の感想が聞かれる。その中で1000年杉を前にした方々からは一段と高い大きな感嘆の声が上がる。圧倒的な存在感を見せる大木に「すごい」「うわー」「何これー」等々の声が。昼食を済ませ帰りは下り道、油断せず慎重に下山し鶏足寺の参道のもみじや茶摘み前の茶畑の景色を堪能し無事木ノ本本駅へ到着。皆さんからは「今回も奥びわのハイキングで楽しませてもらった」という感想に疲れも吹き飛び、楽しい1日で終了することができました。

旧石道寺跡 ここから登山道となります 晴れてきました
新緑の登山道に爽やかな風が吹きます
逆杉(さかさすぎ) 大杉の前で記念写真
写真に収まり切れないので分割して
下山して鶏足寺跡解説板で 紅葉時には最もにぎわう所です

5月10日(土) JRハイキング (タイムスリップし電撃作戦を体感)  豊臣軍団、美濃大返し関連地を巡る

雨上がりの蒸し暑い天候でしたが、集合場所の余呉駅は大勢のハイカーで賑わいました。その中で私たちは14名で羽柴秀吉の「美濃の大返し」を体感するコースへと出発しました。まず高山右近が守備した岩崎山砦へ、続いて中川清秀の大岩山砦へ向かいました。両砦は柴田勝家方の猛将佐久間盛政の急襲を受け、高山右近は撤退、中川清秀は守備隊全滅の敗北を喫したのです。佐久間隊は、秀吉隊が美濃の岐阜城の織田信孝攻撃へと向かったその隙をついたものでした。今回のハイキングコースはこの後の秀吉の反撃作戦を体感するものとあって、歴史好き、砦ファンの皆さんは砦跡を熱心に探索されていました。続いて差し掛かるのが「猿が馬場」という秀吉が反撃のため到着したと伝わるポイントです。戦はここから秀吉方の猛反撃へと展開するのですが、私たちは逆コースに道を取ります。秀吉は大岩山砦の陥落を聞いて急遽大垣から13里(約52キロメートル)の道を5時間で駆け戻り、夜中に反撃を開始します。この反撃の道を下った山の麓の大澤(だいたく)寺には秀吉隊到着の危急を伝えるため佐久間隊が必至で鐘を搗いたと伝わる鐘楼があります。緊迫した状況が偲ばれます。その後一旦平地を戻り、木ノ本駅で休憩、昼食を取り、午後は田上山登山です。田上山砦はこの合戦で、秀吉の弟・羽柴秀長が布陣した砦です。土塁や堀、曲輪などしっかり残っています。皆さんは砦跡の図面を持って熱心に砦跡を探索されていました。下山して秀吉の本陣が置かれたといわれる木之本地蔵院(浄信寺)に参拝。このコースは来年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」の舞台でもあり大変喜んでいただき無事終了しました。

余呉駅前の賑わい 賤ヶ岳を目指すハイカーたち
大岩山砦跡で激戦を偲びます
秀吉が反撃で到着した場所がここと伝わります
大澤寺の鐘楼 佐久間隊の焦りが感じられます
広い田上山砦跡を隅々まで探索 よく遺構が残っています
砦跡の解説板で記念写真
来年の大河ドラマの舞台として期待されます

5月3日(土・憲法記念日) JRハイキング (賤ヶ岳合戦城砦シリーズ)  柴田勝家の本陣・玄蕃尾城跡へ

五月晴れの下、絶好のハイキング日和となり遠来の方も含め27名の参加者が木ノ本駅から路線バスで出発。満員とあってバス会社は往復とも臨時便で対応いただきました。玄蕃尾城跡へは柳ケ瀬バス停から約1時間の行程ではあるが、かつての街道も一部区間では横渡りの道が削られて細くなっている難所もあり、注意深くも無事通過して一安心。いよいよ玄蕃尾城跡に到着すると、見事なまでの縄張りと土塁の高さや空堀の深さに一斉に驚きの声が上がった。「一度来たかった所、感激しました。」との感想もいただいた。玄蕃尾城は柴田勝家の陣城でしたが、勝家隊は余呉湖方面に侵攻したためこの場所で戦いはなかった事により遺構が良好に保存され、しかも地元の保存会の方々によりきれいに整備されて安心して探索できます。各郭の機能分化や配置、それに土塁、横堀り、虎口、土橋、馬出しなど見事なまでの遺構は織豊系山城の最高水準と評価され、続日本の100名城に選ばれています。広い主郭跡で昼食と記念写真を済ませ、来年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」にも取り上げられるかもしれないという期待と話題にも関心が高まる。城跡を十分堪能した筈も、名残り惜しい気持ちで下山、帰路の路線バスは解散場所の余呉駅へ向かいました。

登山口の柳ケ瀬で行程の確認
城跡へ到着 入口の解説板で全体像をつかむ
広い城跡を一回りしました
このような深い堀が巡らされています
広い主郭跡で昼食 きれいに整備された城跡は安心して楽しめます
主郭の櫓跡で記念写真 やったぜと思わず手も上がります
登山道の一部にはこのような狭い横渡りの道もあります
追録 事前にガイドの有志でこの道の補修をしました

4月20日(日)JRハイキング (好評「おとちの岩窟」春コース)         敗者石田三成が再起をかけて潜伏した岩窟

人気のこのコースも山道とあって天気予報が心配の種。今回も予報は雨模様気味のためキャンセルが出る中にも18名の参加で出発。ところが予報が外れ曇り空で雨は降らずに無事踏破でき一安心。今回は木ノ本駅からは登山口まで徒歩としたため、少しきつめの登山となったが全員予定の時間に目的地に到着。皆さん一度は来たかったという思いが強い中、岩窟の入口の様子には少し戸惑いもあって一部の方は様子見も。しかし勇気を奮って多くの方が岩窟の中に入り、三成公の潜伏を追体験できた満足感に浸る。若葉が芽吹く春山の景色の中、昼食を済ませて今度は急坂を林道まで下る。この辺りはかつての己高山仏教寺院群の名残りを留めている所とあってまた違う雰囲気を味わう。特に秋の紅葉で賑わうスポットの鶏足寺山門跡では新緑のモミジの下を通り、石道寺から井明神のバス停まで歩く。今回は少し長めのコースのため皆さん少々疲れ気味の中、木ノ本駅まで走って行かれる強者がおられ全員びっくり。木ノ本駅では冷たいジュースを飲みながらしばし談笑。名古屋、埼玉など遠方からの参加者もあり、他のハイキングにも参加される方々からは、「奥びわのハイキングはただ歩くだけでなく目的があって、しかも道中各所で説明があるのでとても良い」とのうれしい言葉にその魅力などについて話が盛り上がり、天候を心配していたものの満足して頂き楽しく終了することができました。

登山口に到着 念入りに準備体操
道中も笑顔が
とうとうやって来ました 満足感一杯に記念写真
林道に降りて一安心
己高山仏教圏の案内板で
紅葉の一番の人気スポット 鶏足寺山門跡は若葉
石道寺(しゃくどうじ)ここも紅葉で賑わう観音堂