5月10日(土) JRハイキング (タイムスリップし電撃作戦を体感)  豊臣軍団、美濃大返し関連地を巡る

雨上がりの蒸し暑い天候でしたが、集合場所の余呉駅は大勢のハイカーで賑わいました。その中で私たちは14名で羽柴秀吉の「美濃の大返し」を体感するコースへと出発しました。まず高山右近が守備した岩崎山砦へ、続いて中川清秀の大岩山砦へ向かいました。両砦は柴田勝家方の猛将佐久間盛政の急襲を受け、高山右近は撤退、中川清秀は守備隊全滅の敗北を喫したのです。佐久間隊は、秀吉隊が美濃の岐阜城の織田信孝攻撃へと向かったその隙をついたものでした。今回のハイキングコースはこの後の秀吉の反撃作戦を体感するものとあって、歴史好き、砦ファンの皆さんは砦跡を熱心に探索されていました。続いて差し掛かるのが「猿が馬場」という秀吉が反撃のため到着したと伝わるポイントです。戦はここから秀吉方の猛反撃へと展開するのですが、私たちは逆コースに道を取ります。秀吉は大岩山砦の陥落を聞いて急遽大垣から13里(約52キロメートル)の道を5時間で駆け戻り、夜中に反撃を開始します。この反撃の道を下った山の麓の大澤(だいたく)寺には秀吉隊到着の危急を伝えるため佐久間隊が必至で鐘を搗いたと伝わる鐘楼があります。緊迫した状況が偲ばれます。その後一旦平地を戻り、木ノ本駅で休憩、昼食を取り、午後は田上山登山です。田上山砦はこの合戦で、秀吉の弟・羽柴秀長が布陣した砦です。土塁や堀、曲輪などしっかり残っています。皆さんは砦跡の図面を持って熱心に砦跡を探索されていました。下山して秀吉の本陣が置かれたといわれる木之本地蔵院(浄信寺)に参拝。このコースは来年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」の舞台でもあり大変喜んでいただき無事終了しました。

余呉駅前の賑わい 賤ヶ岳を目指すハイカーたち
大岩山砦跡で激戦を偲びます
秀吉が反撃で到着した場所がここと伝わります
大澤寺の鐘楼 佐久間隊の焦りが感じられます
広い田上山砦跡を隅々まで探索 よく遺構が残っています
砦跡の解説板で記念写真
来年の大河ドラマの舞台として期待されます