8月27日(日)JRハイキング (日本最古とされる羽衣伝説、最古級の酒蔵、図書館)古き町木之本をゆっくりと

残暑厳しい日ではありましたが、約7キロメートルの道のりを全員元気に完歩していただきました。このコースのメインは北国街道木之本宿の街中散策ですが、出発点はまず賤ケ岳リフト乗り場の大音集落に鎮座される式内社伊香具神社から。この神社には日本最古と言われる羽衣伝説と伊香式鳥居と言われる特異な形の鳥居が特徴の古社です。ここから再度木ノ本駅に向かい、駅前の江北(こほく)図書館へ。この図書館は明治35年設立の私設図書館で現在も公金の対象にもなっていないものの、有志の努力により運営されています。最近ではクラウドファンディングなどで資金を調達され老朽化した建物の修理に取り組まれています。このあと町おこしの施設「木之本塾」で手打ちそばの昼食で一息。木之本宿には創業が戦国時代に遡る山路酒造と富田酒造の2軒の酒屋さんが営業されています。その銘酒が「桑酒」と「清酒七本槍」、参加者の皆さんはこぞってこの銘酒を買い求めておられました。木之本の街は門前町でもあります。その木之本地蔵院(浄信寺)にも参拝。眼病のご利益であるかわいらしい身代わりカエルにもしばし癒されました。「きのもと交流館」では失われゆく伝統工芸の小原かごの展示の最終日に間に合い、ガイドの解説を聞いていただきました。このように見どころ沢山の街中をゆっくり散策して頂き木ノ本駅で解散となりました。

江北図書館 このレトロな建物も値打ちです
木之本地蔵院(浄信寺)を参拝
旧本陣薬局 江戸時代は大名の宿泊宿、明治に薬局へ 日本の薬剤師免許第1号を取得されました
山路酒造 ここの銘酒が桑酒
富田酒造へ この建物もレトロです 銘酒七本槍を求めて

8月19日(土)トピックス 滋賀県知事御一行様が賤ケ岳へお越しになられました

滋賀県の三日月知事様がプライベートで湖北地域を巡られ、賤ヶ岳山頂へもお越しになられました。知事ご自身は2度目で、今回は学生時代の気の置けない仲間たちとの賑やかな旅のご様子。知事以外は県外の方達ということで、当方のガイドも琵琶湖の水自慢をふんだんに取り入れ、賤ケ岳合戦の話も大河ドラマの進行とピッタリのタイミングで大いに盛り上がって頂きました。下山後は昼食、観音様巡りなどびっしりのスケジュールとのことでした。(この記事は知事のご了解を得てアップしました。)

琵琶湖の水は京阪神1400万人の人々に利用されています!!
この合戦の続きは明日(8月20日)の「どうする家康」に譲ります?

8月19日(土)JRハイキング (稲穂に角大師が浮かび上がる)たんぼアートと虎御前山縦走

虎姫地域づくり協議会の皆さんによる田んぼアートは今年が最後と発表され、残暑の厳しい中ではありましたが、33名の参加による見学ハイキングとなりました。浮かび上がる絵は角(つの)大師で、地元三川出身の元三(がんざん)大師(良源)が疫病神を追い払った時の夜叉の姿です。まず大師がお生まれになった玉泉寺に向かい、途中には大師ゆかりの「いとまごいの橋」を見、「月子(母)の墓」にもお参りして到着。ご住職に出迎えていただき、読経とご法話のあと厄除けのお札などをいただきました。その後、虎御前山に登り、展望台から「第11回 さよなら 田んぼアート」を見学。「令和5年 輝くとらひめ」の文字と角大師が見事に稲穂に浮かんだ眺めに感嘆の声がしきり。記念写真と昼食を済ませ、午後は元亀3年に小谷城攻めで織田信長が築城した虎御前山城の砦群を巡り下山しました。無風、猛暑の中ではありましたが、全員無事に踏破しました。

いとまごい橋 大師が村人たちと別れた所
稲穂の道を歩く
大師生誕の玉泉寺にお参り
浮かび上がる角大師のアート この風景も今年で見納めです ありがとうございました
アート展望台で集合写真
虎御前山の信長の布陣跡 アートの後は戦国時代の砦跡を巡りました

8月11日(祝)奥びわ湖ハイキング 西野山丘陵の秘境を訪ねる

昨年好評だった山の日の祝日企画であったが連日の猛暑のため、直前キャンセルがあり5名の参加となった。しかし殆ど木陰で時おり吹き抜ける心地よい風の道中を歩く。まず西野水道で江戸時代の偉業を学び、そこから古保利古墳群へ。一般には八ツ岩支群と呼ばれる古墳時代終末期の横穴式石室古墳群と前方後円墳の形状を比較的よく残している深谷古墳を見学するのが最適。次に阿曾津千軒の伝承地へ。ここは琵琶湖岸に幾つか伝わる水没集落伝承地の一つ。この水没原因が琵琶湖の大津波によるとの説や、そもそもここに大きな集落があったのか、など現地ならではの思いを巡らせる。琵琶湖岸へ出て沿岸の地形も確認して、最終目的地の有漏神社へ。この神社は山梨子集落の神社でありながら集落からの参道がなく、かつては船で参拝されていたとか。そのため今では秘境の神社としての雰囲気が漂う神前に参拝した後、湖岸の鳥居前で琵琶湖の風と眺望を楽しみながらの昼食。皆さん秘境探検を終え満足気分で来た道の帰路に着きました。

旧水道の出口 ここから少し入って体験
昭和の西野水道から琵琶湖岸へ出る
深谷古墳 素人目にも前方後円墳に見える
阿曾津千軒の地で伝承について思いを巡らす
山中から一転して琵琶湖の雄大な景色との出会いに感嘆
有漏神社への峠道からの奥びわ湖と竹生島の景観
湖岸に立つ有漏神社鳥居

8月5日(土)長浜と大阪の子供会交流会のお手伝いをしました

余呉小学校(現余呉小中学校)と大阪市西淀川区姫里小学校は琵琶湖淀川水系の水源地と最流末という関係から、足掛け40年近くに及ぶ子供会交流会を続けておられます。毎年交互に招待し合いして交流するスタイルで、今回は賤ケ岳をメイン会場に余呉子供会が主催です。大音地区のお寺をお借りしての開会式の後、リフトで頂上へ。まず、(独)水資源機構のスタッフさんにより琵琶湖の水の役割などについて学習したあと、楽しいお弁当タイム。猛暑とは言え頂上は涼しい風により快適。昼食後は3班に分かれて私たち各ガイドが賤ケ岳合戦や小学生向けの余呉湖羽衣伝説などを解説。その後、大岩山砦や岩崎山砦などが連なる登山道を下山。道中は木陰と涼しい風の吹き上げで全員元気に歩き、途中の史蹟でのガイドや休憩を挟んで予定通り無事下山。猛暑が心配されましたが、涼しい風と主催者の皆さんの周到な準備と運営で無事楽しい交流会となり、私たちガイドについても大変喜んでいただきました。このようなイベントのお手伝いのガイドの一日でした。

開会式会場で
水資源機構のスタッフさんのお話を熱心に聞きました
大岩山砦で休憩と合戦の勉強 日陰と風で爽やかでした

7月23日(日)JRハイキング  賤ケ岳合戦における秀吉側の最前線 堂木山砦・神明山砦を巡る

猛暑の予報とは言え、京阪神方面からほぼ予定の33名の参加があり、余呉駅からまず堂木山砦を目指し緑の水田地帯を歩く。そこからやや緩やかな登山道を行くが、さすがにここで小休止。砦に着くと良く残る郭や土塁跡を熱心に探検。この砦は主戦場にはならなかったものの山路正邦の離反とその情報により膠着した戦局が大きく動いたことを解説。そこから尾根道を神明山砦へ歩を進める。この尾根道が意外にも木陰とそよ吹く風により快適で、「この涼しい風を持って帰りたい」との声も。この砦の主郭跡や堀切も深く保存状態は良好。ここで昼食とし、ここには黒田勘兵衛も布陣したことを示す秀吉の書状や黒田家発祥の歴史についても解説。ここから次に辿る前田利家布陣の茂山との関係では、当初進駐してきた前田隊に山路正邦は攻撃を仕掛けず、秀吉方から疑いをかけられたこと、更に余呉湖畔の激戦の最中、前田隊は戦線離脱を図るも秀吉方から激しい攻撃を受け苦戦、ここを殿(しんがり)として主君の退却を助けた横山喜隆の奮戦と戦死を偲んでいただく。峠道に至り小休止と記念撮影の後、川並集落へ続く山道を下山するがここはれっきとした県道であることにビックリされていた。下山後の余呉駅までの平坦な道のりが今度は酷暑そのもので、山道よりきつかったもののビジターセンターで冷たいものなどを補給して無事全員余呉駅に帰着しました。

堂木山砦跡を散策 しっかり残る土塁に感動
水田地帯を行く 後方が神明山砦
神明山砦跡で秀吉書状などを解説
茂山の戦陣跡 ここからの前田利家隊の退却は容易ではありませんでした
峠道にたどり着き記念撮影

追録 登山道の内、送電塔下は草が繁茂して通行が困難のため事前に草刈りをしました

ガイドの有志で草刈りを行い道を確保
身の丈も隠れるほどの草で登山道も見えません

7月15日(土)JRハイキング 浅井、朝倉VS信長、家康の激突地へ   姉川土手を歩き姉川古戦場をめぐる

今回のハイキングコースは大河ドラマでも放送されたばかりの「姉川の合戦」地巡りと連休初日ともなり、京阪神方面に加え中京方面からの参加者もあって総勢29名で虎姫駅を出発。途中土手に咲く花々では牧野博士張りの詳しい参加者の解説があってにぎやかに最初の経由地である国友鉄砲の里へ到着。そこから葉桜並木の道を進み、家康軍と朝倉軍が激戦を交えたちはら公園で昼食となり、ここでは家康は本当に浅井方へ着こうとしていたのかなどドラマの話題も。午後は強い日差しとなるも姉川合戦跡碑前で集合記念撮影、家康本陣の岡山から信長本陣の陣杭の柳へと歩を進める。浅井方の猛将遠藤喜右衛門の墓で激戦を偲び、そこから茶臼山古墳のある竹ヶ鼻から古戦場一帯を眺めた後、バス停のある北郷里まちづくりセンターへ到着し長浜駅へ。車内では当時と同じ猛暑日の戦国体験から現実に戻り、約11キロメートルの行程を振り返っておられました。

国友町 鉄砲の里としての街の景観です
姉川土手から小谷城方面を望む
ちはら公園にて 地名起源は血原とも 激戦地ゆかりの地名も多くあります
姉川古戦場の碑で記念撮影 猛暑も何のその大満足の皆さん
家康公ゆかりの岡山の大杉 家康公勝利の後は勝山とも言われるように
目指すは茶臼山 前方後円墳に見える後方の山
野村橋を渡る ここらあたりも激戦地
茶臼山から戦場一帯を見渡す
遠藤喜右衛門の墓所 敵陣深く突入した北の猛将

6月25日(日)JRハイキング「賤ケ岳合戦と伝統産業(糸取り)を学ぶ

心配された天気も、梅雨の間の晴れ間に恵まれて京阪神や守山、彦根など県南部からの25名の参加で木之本駅をスタートし、賤ケ岳山麓の大音集落を目指す。集落の佃工房は蚕の繭から生糸を取り出す伝統産業「糸取り」の貴重な伝承工房です。この糸取りの実演が大変珍しく、あざやかな手さばきに参加者の皆さんは覗き込んだり、湯に手を入れたり繭に触れたりと興味津々でした。このあと登山リフトで賤ケ岳山頂へ登り、昼食。散策後は2班に分かれて賤ケ岳合戦の解説を聞いていただき、再びリフトで下山。伊香具神社で由来や伝説に触れていただき、黒田の集落を目指す。ここは福岡藩の黒田家発祥の地と言われ、黒田家御廟所では大河ドラマ「軍師・黒田官兵衛」の年は10万人の来訪者があったとの話に感心されていました。そのあと無事木之本駅に到着、解散となりました。

糸取りの実演に興味津々
頂上で記念撮影 見晴らしも上々でした
糸取りの様子が見学できます 
賤ケ岳登山リフト乗り場

6月17日(土)JRハイキング 賤ケ岳から余呉湖畔を歩きアジサイを楽しむ

日中には猛暑となる予報でしたが快晴の天気に恵まれ、京阪神や県南部から総勢40名の参加者は高月駅からまずは平坦路で西野水道を目指してスタート。史跡公園で先人の偉業を学んだ後はいよいよ山道へ。木戸坂の上り口では重い米俵などの物資を峠を越えて琵琶湖畔まで人力で運んだ名残の地でここでも昔の人々の苦労を偲びました。尾根道は古保利古墳群の脇を抜けるものでそこかしこに墳丘を確認しながら、涼しい木陰で昼食。西野山、丸山のピークを越えて、いよいよ賤ケ岳へ到着。ここで合戦の模様と大展望を楽しまれた後、切通を経て余呉湖畔へ下山。湖畔道では満開のアジサイ園を楽しまれ、湖からの涼風に癒されながら予定どおり余呉駅へ。約13キロメートルの長い道のりでしたが、家康の言葉、「人の一生は重き荷を背負い遠き道を行くが如し」を思い浮かべた一日でした、と感想を述べられた方に多くの方がうなずいておられました。

西野水道史跡公園で江戸時代の偉業を学ぶ
史蹟の案内板へ 後方の山の尾根を歩きます
木戸坂の上り口 ここから古墳群へ
向うに賤ケ岳の山頂が見えてきました
賤ケ岳山頂で記念撮影
余呉湖アジサイ園の湖畔道
山頂から余呉湖方面を望む

6月13日(火)トピックス 校外学習などのお手伝いをしました

木之本中学校では例年地元街中の校外学習で地域との関りや地域の歴史の学習を進めておられ、今年も新一年生約40名の生徒さんが7つのグループに分かれて北国街道木之本宿を探索され、7名でそのガイドをさせていただきました。山内一豊が名馬を求めた牛馬市、大名が泊まった本陣跡、近代の養蚕技術など戦国時代からの歴史が残る街に、生徒さんたちははたしてどの箇所に興味を持たれたのか気になるところですが、今どきの学校現場は記録、レポートをタブレットで行うためそこかしこで写真に収めていました。どんなレポートが出来上がるのでしょうか。話は別ですが、これに先立ち、6月7日には滋賀県レイカディア大学の城郭探訪OB会のシニアグループが賤ケ岳を訪ねられ、頂上での合戦ガイドに大変満足されたとのことで、わざわざお礼のメールをいただきました。このような学習のお手伝いも私たちの役割として取り組んでいます。

木之本交遊館で出発式
暑い中も裏道まで元気に探索
江北図書館前で
レイカディア大学の方々 賤ケ岳山頂で熱心にガイドの説明を聞いていただく城郭探訪OB会
 「素晴らしいガイドで参加者たちは大満足」とのお言葉とこの写真を頂きました