今年度の現地研修の第一弾として、大河ドラマに合わせ紫式部ゆかりの地を訪ねました。長徳2年(996)、父藤原為時に同行して越前国へ下向する紫式部(24才頃か)は、平安京から逢坂を越え、大津の打出浜から船出して塩津の港に上陸。そこから塩津山を越えて敦賀に入り、更に木ノ芽峠を越えて国府のあった武生(現越前市)に行ったとされます。 今回の研修は、塩津海道と紫式部の塩津山越えの道を追体験しようとするものです。紫式部はこの道を輿に乗って通ったのですが、輿担ぎの男たちが「いつ来てもこの道は難儀だな」と愚痴るのを聞いて詠んだのが、「知りぬらむ 往来(ゆきき)にならす塩津山 世に経(ふ)る道は 辛きものぞと」の句です。お前たちよ、人生とはこの道のように辛いものだと知らないのか、と言う意味だそうです。若い女性としてはなかなかの上から目線の句ですね。この道は中世には深坂古道として栄えた北陸と琵琶湖水運を結ぶ重要な街道でしたので、道中には問屋場跡や日本海とを結ぶ運河計画が頓挫したという堀止め地蔵を祀るお堂もあって、ハイキングコースとしても見どころが沢山あります。今後注目が高まる事でしょう。
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