JRハイキング(戦国シリーズ 田上山・堂木山)                    このハイキングは賤ヶ岳合戦エリアハイキングとして毎週交互に実施しているものです。

7月4日(土)(山頂から賤ヶ岳合戦砦群を見渡す) 豊臣兄弟戦いの地、田上山砦と北国街道体感

曇り空ながらも強い日差しがない分登山にはいいかという期待のもと木ノ本駅を出発。今回は参加者5名とややさみしいものの、皆さんの期待感が強く、待ち時間には駅ロビーに設置の登山ガイド画像にも注目。登山口までは北国街道の山内一豊ゆかりの牛馬市、レトロなポストが立つ山路酒造など解説処は盛りだくさんあるも下山後に期待していただいて登山開始。さすがに階段道は汗が噴き出て、駅のガイド画像では、はかま姿の女性と甲冑姿の男性が汗もかかず上っていた姿に「あれは何だった?」との声も出る。砦跡からは秀長の気分になって賤ヶ岳方面の激戦地方面を見、ゆっくりと広い砦跡をくまなく散策して下山。北国街道では山路酒造でいろんな酒を試飲してお土産を手に、それぞれが街道筋の観光に向かわれ解散としました。

7月11日(土)(賤ヶ岳合戦の最前線・堂木山砦を訪ねる)豊臣兄弟天下取りへの戦勝地を体感する

梅雨明けとの報道もあって夏本番の一日になりそうな中、余呉駅には県内各地や地元長浜市からの参加者が多く見受けられ、大河ドラマの展開が姉川合戦や小谷城攻防戦に続き賤ヶ岳合戦へと続く湖北地方が舞台となる期待の影響か?。羽柴方砦群の真ん中の道を進んで賤ヶ岳戦国ステーションに到着し小休止の後、ここからの参加者と合流して21名で堂木山砦を目指す。登山道は林道が整備されほどなく鳥打峠に到着。ここから左の稜線が神明山砦へつながるも今回は右へ登る。すぐに北方の柴田方砦群の行市山、別所山砦方面が見渡せる所に到着。ここで高所に進出した柴田方砦に押されるように最前線の羽柴方砦の天神山砦、城山砦を後退させたことを解説。堂木山砦跡に到着すると南方の田上山砦、大岩山砦、余呉湖、賤ヶ岳方面が一望できるよう木々が取り払われた抜群の眺望に歓声が上がる。ここで昼食とし、合戦ガイドや明治時代の鉄道敷設で全国で3番目に開通したことなどで北陸方面と中京、近畿方面の間の要衝の地であることも知っていただいた。下山後は賤ヶ岳戦国ステーションに戻り、担当ガイドの解説や施設に展示の合戦の資料などで改めて合戦の全貌について学んでいただき、余呉駅に帰着し解散としました。

堂木山砦を目指して出発
堂木山砦ーの登山道は林道として整備されています
堂木山砦で記念写真
賤ヶ岳戦国ステーションで 両陣営の砦配置図で戦況の推移を確認する

7月12日(日)JRハイキング(羽柴軍に対峙した壮大な遺構を体感しよ う)賤ヶ岳合戦、柴田勝家の本陣を行く

梅雨明けの夏空になった日差しの下、17名の参加者で木ノ本駅から路線バスに乗車。この方面が初めての方が約6割とあって、車中からの風景や合戦の解説に興味が深まる。柳ヶ瀬バス停で下車して玄蕃尾城跡を目指して登山開始。健脚の皆さんとあって予定より早く倉坂峠に到着し小休止。ここからの急坂を難なく上って10分ほどで砦入り口に到着して、設置の解説版で砦跡の全貌を知っていただく。「玄蕃尾城を知らずして城郭を語るに及ばす…。」と思わずガイドの解説にも力が入るほどのよく整備された砦跡です。それには敦賀市側の保存会の皆さんの取り組みにより維持されているものでもあります。見学は後にしてまずは昼食として広い砦跡に思い思いに腰を下ろす。昼食後はいよいよ全域をくまなく散策して、特に物資を搬入、貯蔵したであろう兵站郭の役目と重要さを知って頂いた。途中には、「ここは将来は福井・北ノ庄城と長浜城の繋ぎの城とするものとして構築されたのではないのだろうか?」などの感想、推理も出るなどそれぞれの思いには「なるほど」と一同盛り上がる。馬出し、横矢、食い違い土塁、枡形、虎口など城郭用語が満載の案内と成りましたが、参加者皆さんのメモを取る熱心な姿に改めてガイドの責任の重さを実感した次第でもありました。下山道は下りのみとあって楽々に柳ヶ瀬バス停に到着。今度は余呉駅に向かい帰着し解散としました。

柳ヶ瀬バス停で 登山の注意事項を確認する
柳ヶ瀬の集落を行く
木漏れ日の登山道はかつての街道です
玄蕃尾城に到着 砦跡の全体図で全貌を確認する
よく残る遺構の土塁跡から 馬出し、横矢など砦の仕組みを解説する
主郭跡で記念写真 きれいに整備された砦跡は安心して見学できます

6月13日(土)JRハイキング(賤ヶ岳~余呉湖の花道・アジサイを行く)                  山道と湖畔景観を楽しむ

このコースは総行程が16キロメートルと健脚向きであるものの参加者は31名と多く、その内約7割が女性で女性活躍の一日となりそうですが、男性も存在感を発揮され皆さんの元気度に感心と尊敬の念を抱いて、高月駅を出発。まずは田園地帯の平地を進んで西野水道史蹟公園を目指す。この付近は三方を山に囲まれた地のため、江戸時代まで度々洪水の被害を受けたため、山腹にトンネルをくり抜いて琵琶湖に排水した難工事が行われた所です。天皇陛下が皇太子時代に訪問された記念碑もあり、解説版で当時の偉業を偲んでいただきました。麓の林道を歩き木戸坂から山道へ上る。この尾根一帯には古保利古墳群と称される大小様々な形態の古墳が連なり、それらしい盛土状の形が窺えます。左の樹間からは琵琶湖の湖面が見え隠れし、吹き上げてくる涼しい風に一息ついて昼食タイムとする。「山で食べる食事は格別」との声もあって体力を回復して出発。賤ヶ岳に近づくと首切り地蔵峠に至る。この峠は昭和30年代まで通学路であったとの説明に驚かれる。リフト乗り場からはもう少しで賤ヶ岳山頂とあって足取りも心なしか軽やかに。山頂は正に「琵琶湖八景・賤ヶ岳の大観」の名の通りの景色に歓声が上がる。南の琵琶湖方面の右手には比良山系、比叡の山々、左手は伊吹山から鈴鹿山系の山々が望め、その間には安土城や彦根城、小谷城など戦国の史蹟が広がります。北には余呉湖と賤ヶ岳古戦場の行市山、大岩山、東野山、堂木山などの山々が一望です。ここで記念の集合写真を撮って余呉湖畔へ下山する。途中賤ヶ岳七本槍の激戦地を通過し湖畔道へ出る。折しも湖畔のアジサイ園には花を楽しむ人々の姿も多く、余呉湖の静かな湖面を見ながら余呉駅に到着。長い道のりだったものの、皆さん無事元気に「アップダウンも多く長い道のりで楽しく歩き応えのあるハイキングだった」と参加者の言葉にガイド一同心強く安堵の思いの一日でした。

目指す西野山丘陵を見る
西野水道史蹟公園で一休み
木戸坂から丘陵へ上がる
賤ヶ岳山頂で記念写真 笑顔がいっぱいです
切通し峠から余呉湖へ降りる この辺りが七本槍の武将たちの奮戦地
アジサイ園もそろそろ見ごろに
花街道には多くの人たちが訪れます

6月13日(土)北近江豊臣博覧会「賤ヶ岳合戦エリア」ハイキング    賤ヶ岳戦国ステーションから堂木山砦へ

先週6月6日(土)の田上山砦ハイキングとの2本立てのシリーズ第2弾です。余呉駅には電車組4名、戦国ステーションにはマイカー組7名の計11名で実施。余呉駅から戦国ステーションまでの道中は正に賤ヶ岳合戦の羽柴秀吉方陣営の真っただ中とあって、南には賤ケ岳砦、大岩山砦、岩崎山砦に羽柴秀長の田上山砦を見て、北には最前線の神明山砦に堂木山砦、東野山砦が一望され戦況の推移解説にはもってこいのルートです。一方、戦国ステーション組は館内の展示設備で同じように巨大フロアマップなどで戦況の推移を学習です。ここで両組の皆さんは合流して堂木山砦目指して出発です。途中では羽柴方が設置した堂木山砦と東野山砦をつなぐ防御柵(馬防柵)があったこと、合戦後東野山砦の堀秀政が首級見分をしたとされる左衛門の辻などの説明をして堂木山登山口へ。登山道は林道が整備され、スイッチバック式の緩やかな道を20分ほど登ると砦跡に到着。旧坂を登り切った所が木々が取り払われて余呉湖、賤ヶ岳方面が一望される景観に歓声が上がりました。この方面は柴田勝家方の佐久間盛政によって一時占領された味方の砦群で、この激戦の様子をここの守備隊はどう眺めていたのでしょうか。まず皆さんの思いが巡るところです。砦跡は明瞭に土塁と空堀が確認でき、主郭を取り巻く強固な造りも良く分かり、この戦いは歴史上類を見ない城郭合戦であったことに思いを馳せます。隣の神明山砦へと続く尾根道を進むとここも木々が取り払われて柴田方の砦群が一望でき、合戦の全景を体感できるのです。一通りの見学を終えて再び戦国ステーションへ帰着。休憩やお土産を楽しみ電車組は楽しい会話が弾んで余呉駅に帰着しました。

戦国ステーションのフロアマップで戦況の推移を解説
ステーションを出るとすぐ北が最終決戦地方面
堂木山砦砦跡で 戦国ファンの皆さんの期待にガイドの解説にも熱が
堂木山砦から余呉湖、賤ヶ岳方面を一望(写真の季節は別)

6月6日(土)北近江豊臣博覧会「賤ヶ岳合戦エリア」ハイキング

大河ドラマの展開はもうすぐ本能寺の変から賤ヶ岳合戦へと描かれる段階となり、一層の盛り上がりが期待される中、羽柴秀長の田上山砦と秀吉方陣営の最前線である堂木山砦へのハイキングを企画して、皆さんのお越しをお待ちしております。まず最初の取り組みとして、6月6日田上山砦へのハイキングを行いました。遠くは三重県からの参加もあって10名で木ノ本駅を出発。登山口の意冨布良(おおふら)神社で登山コースなどの概略を説明。標高323メートルの低山ではあるものの、ややきつい階段道が続きこれも武将たちの足取りを体感するには仕方ないことと覚悟していただく。砦跡に着くと折しもNHKの撮影クルーが取材中とあって一同一気に気分が高揚する。このシーンはドラマの後で流れる現地紹介で放送されるようです。広い砦跡の一部は木々を取り払って眼下の古戦場一帯を一望できるようなっていて、秀長の気分で皆さん思いを巡らせておられました。下山すると秀吉の本陣が置かれた浄信寺で解散。ここは木之本宿の町並みとあって、付近には本陣跡や銘酒、名物のお土産には事欠かずそれぞれ自由に散策されたようです。奥ビワのハイキングはいつもよく工夫された企画で今回も大変満足できたとのうれしい言葉もいただきました。次は13日(土)に余呉駅から賤ケ岳戦国ステーションと堂木山砦を目指すハイキングです。

木ノ本駅で出発式
登山口の意冨布良神社で行程の解説
この辺りはまだ緩やかな階段道です
広い砦跡を隈なく散策しました

6月6日(土)JRハイキング(ササユリとコアジサイの群落に酔う) 山門水源の森が輝く季節

四季を通じて人気の水源の森とあって、京阪神方面から28名の参加で永原駅から出発。大半がササユリなどの花が目当ての女性と見受けられ、ガイドの下見でちょうど花盛りであると伝えると拍手が起こり、早くも期待で盛り上がる。道中は下道7キロメートルを含む片道12キロメートルとあってもそこは承知の上との雰囲気を感じる。途中の山門(やまかど)の集落には「十一面観音・和蔵堂」の案内板があって、井上靖の「星と祭」ゆかりの地であることを紹介する。健脚の皆さんのため予定よりかなり早く森の駐車場に到着すると、すでに多くの車があってまずびっくり。入り口の「森の学舎(まなびや)」で昼食をとり休憩して注意事項などを確認していただく。木漏れ日の緑あふれる涼しい沢道を歩くと目的地の湿原に到着。そこかしこにはコアジサイやササユリの白い花が咲き誇り、盛んにスマホやカメラに収める参加者の皆さん。ここで湿原の成り立ちや一帯の植生、固有の動植物などについて説明する。近年は鹿などの食害から守るため保全活動のメンバーの方々の尽力があること、それにより豊かな自然が守られ、中にはハッチョウトンボという最も小さい貴重種も生息していることなども知っていただく。「四季の森」では長めの休憩を取り、ここは秋にはまさに錦秋の景色に包まれるという話などに大いに盛り上がりました。山道はアップダウンの連続で安全に気が抜けない行程であったが草花の観賞に加え樹木観察、野鳥の鳴き声に癒されるなど自然を満喫したハイキングとなり、長い道のりも大いに喜んでいただいた一日となりました。

永原駅で出発式
湿原入り口で諸注意事項を確認
木漏れ日の沢道を行きます
四季の森で記念写真 満足感、充実感でいっぱいの笑顔
コアジサイにササユリの群落
可憐なササユリに癒されます
うまくいくとハッチョウトンボにも出会えます

5月30日(土)JRハイキング(秀吉・秀長出陣の小谷城攻め)  信長の軍道と虎御前山砦跡をゆく

爽やかな風と快晴の下、最高のハイキング日和に京阪神、中京方面から41名もの戦国ファンが虎姫駅に集合。ちょうど大河ドラマの進行と相俟ったこともあって、初めての参加者や女性の姿が多く見受けられる布陣で出発。まずは真宗大谷派の五村別院に参拝。本別院の由来の解説に続いて元亀争乱の時は信長との和睦を拒み徹底抗戦を主張した教如上人の話では皆さんは早くも気持ちは小谷城攻防戦に向かい、お市の方の心情などの話題に盛り上がる。今回は小谷城攻撃の織田信長の目線で攻防戦を体感してもらう狙いでコースを設定。ドラマでも登場する武将宮部慶順ゆかりの宮部集落から続く軍道(戦国街道)を歩く。この道は信長が虎御前山に本陣を置くにあたって軍用道として整備したもので、現在も一部が道路として活用されています。小谷山を横目にここを進軍する歩兵の気分になったところで三川の玉泉寺と還来寺(げんらいじ)に立ち寄る。玉泉寺では比叡山延暦寺の高僧になられた元三大師の遺徳を偲んでいただく。還来寺は戦国武将田中吉政出生の地と伝わり戦国ゆかりの地でもあります。続いて虎御前山入り口の矢合神社で小休止してトイレなどを済ませて山へ入る。ここでは織田方諸将の砦跡が続き、参加者も多いため2班に分かれてガイドが担当することにしました。尾根伝いに展開する柴田勝家や羽柴秀吉などの砦跡では目の前の小谷城や背後の横山城を見ながら、ドラマのシーンと重ねて信長目線で攻防戦を体感していただき、様々な話題で盛り上がる中、名残惜しくも山を降りて河毛駅に到着、解散としました。皆さんからは分かり易い説明でよかった、次も楽しみにしているとの言葉をいただきガイド一同一安心でした。

五村別院で 
五村別院を後にする
信長の軍道 前方の虎御前山と小谷城を目指す
田中吉政生誕地と伝わる還来寺 この武将は戦国時代を逞しく生き延びました
新緑と木漏れ日の虎御前山に入る一行

5月17日(日)JRハイキング(タイムスリップ気分で電撃作戦体感)  豊臣軍団、美濃大返し関連地を辿る

快晴の木ノ本駅には新緑の一層濃くなるこの時期、京阪神等近畿各地からの老若男女のバランス良く、いずれも歴史ファンの昭和100年の歩みを彷彿させる24名の顔ぶれが集合。まずは賤ヶ岳向けて出発。頂上へはリフト組と登山組の二手に分かれて上がる。山頂からは賤ヶ岳の大観の名の通り、北の余呉湖と賤ヶ岳合戦の戦場を眺め、南は琵琶湖と伊吹山、養老山地の狭間の関ケ原を望み、その手前は小谷山から田部山、田上山と木之本の町並みと続き、正に美濃大返しのルートとあってガイドの説明にも熱が入る。山頂を後にして、秀吉が反撃のため到着した所と伝わる猿が馬場へ到着。ここで昼食とし、付近にはギンリョウソウ(別名ユウレイタケ)も見られ戦国の喧騒を偲びつつ暫しの休憩とする。ここから下山すると大澤寺に至る。ここにある半鐘を佐久間盛政の兵が秀吉隊到着を必死に乱打して知らせたと伝わります。続く黒田の集落には、黒田官兵衛の黒田家発祥の地とされる黒田家御廟所がありここでまた歴史を学んでいただく。再び木ノ本駅に戻りいよいよ羽柴秀長の田上山砦跡を目指して登山開始。この砦跡は九郭から構成された広い城域を持ち、賤ヶ岳合戦の本陣砦としての最大級の規模を誇ります。眼下には北国街道、遠くには柴田方の行市山、自軍の賤ヶ岳、大岩山方面を一望して、参加の皆さんは戦況を見つめる秀長の気分になってあれこれと思いを馳せられ、ドラマはどのように描かれるのかなどの話題で盛り上がる。下山すると秀吉が本陣を置いた浄信寺、街中の一角には轡(くつわ)の森があり、ここには大返しで秀吉を乗せて駆けてきた馬が息絶えたと伝わる地でもあり、終始美濃大返しの歴史を堪能されたハイキングとなり、満足感いっぱいで木ノ本駅で解散となりました。

賤ヶ岳山頂で 合戦の全体像についてガイドの説明に聞き入っていただく
快晴の下、景色も歴史も堪能していただきました
黒田家御廟所で 黒田家の歴史を学んでいただく 後方の山の稜線が田上山砦に続きます

JRハイキング(新緑の山に仏教文化の史跡を訪ねる)  樹齢1000年の逆杉を訪ねるトレッキング

「ウワー凄い!」「こんなの見たことない!」「すごい迫力、来て良かったー!」目的地である高尾寺跡の逆杉(さかさすぎ)に出合った瞬間の第一声です。堂々たる樹齢千年と言われる逆杉は今日も圧倒的な大きさで我々を迎えてくれました。寺跡の境内に入る直前に早くから逆杉を探さず近くまできたら私が「あれが逆杉です」と言いますからと念を押したのですが、先頭の方の思わず出た言葉につられ一斉に顔を上げ感嘆の声が上がりました。シナリオは外れましたが案内して良かったとガイド冥利に尽きる瞬間で、自分が褒められたような誇らしい気分で疲れもふっ飛ぶひと時となりました。その後、写真タイムも一段落して昼食を済ませてからこの木の由来説明と記念写真。今回は感動の逆杉との対面の他、山々の新緑がすばらしく、「きれいやな」「来て良かったな」という声が終始聞かれ、特に鶏足寺参道のもみじの林は明るい日差しが透けて青空に映え、正に息を飲む美しさで、ここでも感動の声がしきり。ここは秋には紅葉の名所として知られる所ですが、新緑の季節もまた格別です。そこでサプライズとして近くの茶畑も案内し、茶摘み前のみずみずしい緑にまたまた感嘆の声です。実は今回のハイキングは4月末時点まで参加希望者が数名、連休中頃でもなかなか申し込みが少なかったのですが、天気が確定してくる連休明けあたりから増え出し、前日申込を会わせ最終的に20名となり、遠くは奈良、姫路、福井あたりからも来られていました。ハイキングコースはなかなかの難コースでしたが、帰りは大木のパワーと新緑の安らぎで参加者からは大変感謝され、次の計画を楽しみにしているという注文まで頂き、我々ガイドも満足感一杯のハイキングでした。

登山開始前に注意事項を確認
登山道は一部急な道もあります
逆杉に到着 
この容姿とたたずまいには畏敬の念を禁じえません
記念写真 明るい日差しのもと思い出深いハイキングとなりました
秋には大変にぎわう鶏足寺参道の紅葉も新緑のこの季節もまた格別

5月9日(土)JRハイキング(賤ケ岳合戦・最前衛地を体験) 東野山砦跡と天神山砦跡を訪れる

県下全域に強風注意報が出て小雨もある朝でしたが、出発のころには青空が徐々に広がり天気の心配はなくなり、岡山、愛知や京阪神等遠方からの27名の方々の歴女、山城男子でにぎやかに出発。まずは北近江豊臣博覧会の賤ヶ岳戦国ステーションに立ち寄る。ここは賤ヶ岳合戦の様子が臨場感たっぷりにわかる展示で人気の施設です。ここで一通り見学して、東野山砦跡(標高410m)を目指す。北陸自動車道の跨線橋から林道を進むと、自生の藤の花が散り始め紫の絨毯を踏むような箇所や、林間からは余呉湖、賤ヶ岳、山本山、行市山等が観られ、予想以上の展望に参加者の気持ちも弾み、砦跡に到着し昼食とする。この砦は羽柴方の猛将とされる堀秀政の陣所で、柴田方を抑える最前線とあって強固な造りのため、各所によく遺構が残り当時に思いを馳せくまなく探索する。ここを後に林道を下山すると自動車道路の建設で殆ど遺構が失われた羽柴方の馬防柵があった所からは両軍の陣営の配置も一望されます。次の目的地は天神山砦。登山口は式内社の草岡神社裏とあって神社にも参拝する。この砦は標高約210メートルの低山に位置するものの、登山道は木々の茂りがあってかき分け、かき分けして砦跡に到着。ここは羽柴方が合戦の最初に築いた最前線の砦でしたが、柴田方が高所の山々に築城したためここを放棄して後退したのでした。当時の緊迫感を想像しつつ、予想以上に規模が大きく精巧な造りに驚かれる方も見られた。ここに湖北地方の低山に自生する光合成を行わないギンリョウソウ(別名ユウレイタケ)がひっそりと咲いているのが見られ、その珍しさに写真に収める方もありここを後にする。余呉駅への帰路では、再度戦国ステーションに立ち寄られる方、個人では中々訪れることが困難な二つの砦に来られたと喜びを語られる方などそれぞれの思い出を胸に帰途につかれました。

東野山砦跡で記念写真 春の日差しも暖かく笑顔もいっぱい