今年は長浜開町450年としていろいろなイベントが行われます。羽柴秀吉による長浜開町はまた小谷城落城の時でもあります。そこで浅井長政公没450年事業の一環として、JRハイキングで小谷城跡、特に今回は月所丸を探訪しました。月所丸は山続きに越前へつながる「越前忍道」の途中にあり、落城時にお市、茶々・初・江が脱出した道とも伝わります。蒸し暑い日でしたが、京阪神等遠方からも含め25名の参加となりました。小谷城は石垣の城でしたが、その多くは落城後に破壊されたものの黒金御門や山王丸の東側には見事な野面積みの石垣がそのまま残っています。月所丸は小谷山の北面からの侵入を阻止するための砦で見事な遺構が見られます。近江では数少ない畝状の堀、高い土塁と尾根筋を切断する巨大な二重堀切があり、朝倉氏の増築の可能性があります。参加者の皆さんは高い土塁から二重の堀切を眺めようと盛んに動き廻っておられました。その後清水谷コースで全員が無事に御屋敷跡へ下山。この居館は浅井氏当主の屋敷であり、京極氏親子や将軍足利義昭を饗応した場所と考えられます。最近では公的な居館は下で、三姉妹などは山上で暮らしていたという考えも出されています。皆さん浅井長政やお市に思いを馳せて、ハイキングを楽しんでいただきました。
6月4日(日) JRハイキング (ササユリとコアジサイの群落に酔う)山門水源の森が輝く季節 が賑わいました
梅雨入りしたとは言え爽やかな初夏のハイキング日和、山門水源の森が最も輝く季節に京阪神から38名の参加がありました。この森は永原駅から約7Kmの距離にありますが、皆さん足取りも軽やかに到着。環境保全のため靴底を水で洗い、環境整備協力金200円を箱に納めていよいよ入山。この森は昭和35年頃までは炭や薪を作るために利用されていた里山でしたが、泥炭層の湿原で氷河期からの生き残りであるミツガシワ等貴重な植物が生育していることで知られていました。一時湿原が失われる危機に見舞われましたが、環境保全活動により今では「山門水源の森を次の世代に引き継ぐ会」が湿原の再生、復元の保全活動をされています。その取組みが実って徐々に植栽も回復して、入口でもササユリとコアジサイが出迎えてくれますます期待感が高まりました。森の学舎で昼食、すぐ横にある付属湿地にはサワランやトキソウ、日本一小さいハッチョウトンボも見ることができました。渓流横の散策路を進むと、ここでもササユリが彩り、いよいよ山門湿原の南部湿原に到着すると、ササユリとコアジサイの群落が満開状態で、モリアオガエルの卵塊もあちこちに見ることができました。参加者の皆さんは、「スゴイ、スゴイ」と言いながら盛んにシャッターを押しておられました。
トピックス 6月7日(水)淡海観光ボランティアガイド連絡協議会の交流研修会がありました
滋賀県下の観光ボランティアガイド協会員が一堂に会して行う交流研修会が久しぶりに行われました。今回は東近江ブロックの近江八幡市と安土町の観光ボランティアガイド協会の主催です。参加者は400名を超える盛況で、開会式の後は6つのコースに分かれての現地研修に移り、①商人、②秀次、③ヴォーリズ、④朝鮮通信使、⑤武佐宿、⑥安土城下町のコースで、各コースとも15名程度の小班に分かれて地元のガイドの方に案内していただきました。現地研修の後は班別の情報交換などの交流会で締め括りとなりましたが、この間、大勢の参加者の移動もスムーズで、主催者のご尽力には大変感服いたしました。コロナ禍明けで県内への観光客の復活が期待される中、各ボランティアガイド協会も有意義な旅のお手伝いが出来るよう研鑽と情報交換、連携が大切であることを改めて確認し合いました。
5月27日(土) 奥びわ湖ハイキング (若葉の自然林を歩く)山岳寺院跡と静かな尾根歩きで一等三角点へ
前日の天気と打って変わって汗ばむ暑さの中、菅山寺跡から尾根を歩きました。先日の己高山の寺院跡ハイキングに続いて、もう一つの山岳寺院の菅山寺跡も人気のスポットです。神戸、芦屋など京阪神方面から早朝に出発されたハイキングファン19名の参加で賑やかに余呉駅を出発。坂口の登山口では江戸時代の参拝者や旅人たちがこぞって買い求めたという菊水飴を手に大鳥居をくぐり、参道に点在する弘法大師像を道案内に急坂を登りきると見返り峠の眺望と涼しい風に癒され一休み。菅山寺は朽ちかけたお堂が点在する寺院跡ではありますが、一方で自然豊かな環境も人気の秘密です。ブナ林に響くクマゲラの木をつつく軽やかな音、ハルゼミの声にモリアオガエルの卵。アカシヨウビンなど希少な鳥を探すバードウォッチャーのグループも。昼食後は青葉の木洩れ日の尾根道を一等三角点の呉枯(くれか)峰を経て、木之本の街に下山。ソフトクリームで一息入れたりお土産物などを手に木之本駅からそれぞれの帰路に着かれました。
5月21日(日)JRハイキング 山城の傑作、玄蕃尾城跡を訪ねて
いつの間にか初夏の装いの山々、砦マニアならずとも人気の戦国山城の傑作、玄蕃尾城を訪ねました。京阪神から早朝に出発された方や学習グループメンバーの方々など39名の参加がありました。この山城は賤ケ岳合戦に備えて柴田勝家が築いた砦でしたが、戦場が余呉湖周辺に移った後、勝家が越前へ敗走したためこの砦はそのままの形で残りました。そのため織豊時代の遺構がよく残る山城として有名です。参加者の皆さんは深い空堀や土塁、虎口、郭跡など戦国時代に思いを馳せて感嘆しきりでした。登山道はかつては近江と越前を結ぶ古道で、明治天皇も徒歩でここを超えられた歴史があります。汗ばむ道も何のその満足感一杯に下山。麓の柳ケ瀬には江戸時代に関所も置かれ、北陸線開通により蒸気機関車の駅としても賑わいました。予定より早く下山できたため、関所跡、明治天皇行在所の旧鈴木家の門(関所の門を移築)なども見学できました。
5月13日(土)奥びわ湖ハイキング 湖北の霊峰「己高山にチャレンジ」
心配された天気も下山まで降ることはありませんでしたが、天気予報でキャンセルされた方も多く10名の参加となりました。霊峰己高山(こだかみやま)は標高923メートル、奈良時代に創始された鶏足寺の廃寺跡が残ります。寺跡では満開の九輪草に出迎えられるというタイミングに感動し、頂上では登り切った達成感に満足しきりでした。下山途中も琵琶湖の眺望に疲れを癒やされ、参加者の皆様から大変喜ばれ感謝されるハイキングとなりましたが、この山へはやはりガイドやベテランの先導のもとに登られるのが無難です。
5月3日(水・祝)JRハイキング (新緑の中、峠越えシリーズ)賤ヶ岳から峠越えで娑婆内湖、塩津海道へ
木之本駅から賤ケ岳、峠を越えて近江塩津駅まで約13キロメートルの道のりに、56名もの参加がありました。賤ケ岳頂上へはリフトを利用、好天のもと頂上からの大パノラマに感動しきり。合戦のガイドで武将達の足取りを確認した後、その道を辿って七本槍奮戦の地、切通しへは難なく下山。ところがここから公法寺山へ続く上り坂にはやや苦戦、将兵達も大いに苦しんだことでしょう。ここで昼食。琵琶湖岸へ降りるのが「地獄坂」で降りた所が「娑婆内湖」。敗走する柴田方将兵達もようやくここで一息ついたという伝承がある入江。ただし今では干拓されて内湖の形は有りません。この元の湖畔に鎮座するのが塩津神社です。ここから平地の塩津海道、大川端を経て無事近江塩津駅に到着。お疲れさまでした。
新緑の小谷城へのお誘い
新緑の小谷城へはシャトルバスが便利です。このバスは春と秋の行楽シーズンに麓から番所跡まで運行しています。この春は4月29日から5月7日までの運行です。中世5大山城に数えられる小谷城は①魅力を体感できる山城②小説の舞台にしたい山城③時代を変えた山城④撮影したくなる山城と絶賛されています。この小谷城を私たちガイドがご案内しています。山城と眼下に広がる壮大な景色の中でぜひ歴史の中に身を置いてみてください。麓では三代の里の展示物もご案内していますのでこちらへもお立ち寄りください。シャトルバス運行終了後も5月一杯は麓や山上でガイドがお待ちしています。
4月23日(日)JRハイキング 湖北の春と歴史の深みに触れる旅
爽やかな快晴のもと湖北の春と歴史満喫のハイキング。遠くは埼玉、名古屋、舞鶴等からの参加者を含め総勢32名で石田三成が再起をかけて隠れ潜んだと言われる「おとちの岩窟」を訪ねました。途中、鳥のさえずりを聞きながら新緑の中を歩き、参加者からは早起きして来た甲斐があったと大好評。岩窟では約半数の「勇気ある」人がはしごとロープを使って狭い入口を慎重に降りて中に入り、三成の心境に思いを馳せ、歴史のロマンを感じていただくことができました。参加者からは是非秋にも計画してほしいというリクエストもいただきました。
4月22日(土)JRハイキング 春爛漫の賤ケ岳と余呉湖を楽しむ
奥琵琶湖の観光シーズンも本格オープンです。この日は賤ケ岳リフトの運行開始と長浜450年戦国フェスティバルのオープンセレモニーが賤ケ岳山頂で賑やかに行われました。このタイミングでのJRハイキングに、京阪神方面を中心に54名もの参加があり4名のガイドでご案内しました。余呉駅から岩崎山砦、大岩山砦と秀吉方砦を巡り、予定通り山頂に到着。セレモニーでは「始まりの狼煙」に長浜市長と「ひでよしくん」も登場してお祭りムードも一気に盛り上がり拍手喝采。山頂からの景色などを堪能しながらの昼食後余呉湖畔へ下山。桜の後を受けたサワオグルマが早くも満開となり、黄色のお花畑でお迎え、一行は新緑の湖畔道を楽しみながら余呉駅に帰着しました。