賤ケ岳リフトは今月で今シーズンの運行が終わります

連日賤ケ岳頂上が賑わっています。健脚の登山グループだけでなく、気軽に登れるリフトで家族連れやグループなどで賑わっています。今朝早朝には余呉湖が雲海(霧)に隠れる貴重な風景が見られました。余呉湖周辺は盆地のため秋から冬にかけて晴れた夜の朝には濃い霧に覆われますが、賤ケ岳頂上から見ればまるで雲海です。日が昇るに連れて徐々に霧のベールははがれて普段の余呉湖が姿を現します。賤ケ岳リフトは今月30日で今シーズンの営業を終了されます。

一面の雲海に覆われた余呉湖
雲海(霧)が晴れてきて、いつもの余呉湖が姿を見せます

11月13日(日)JRハイキング 「安らぎと癒しの旅 紅葉・黄葉の民間信仰の巨木を巡る」

長浜市高月町はかつては「高槻」とも表記されました。槻はケヤキの事で姿形がよく大木になることで古くから好まれ、町内には野神信仰の拠り所となるケヤキの大木が各所にあります。今回のハイキングは各集落に守られてきた民間信仰の古木、大木を訪ねました。途中、雨森芳洲庵(東アジア交流ハウス)を訪ね、江戸時代の日朝関係に深く関わった偉人の業績を学び、庭園を眺めて昼食をとらせていただくご厚意にも預かりました。この館は館長さんご兄弟の手作りによる様々な展示工夫があることでも知られ、入口には「根上がりのケヤキ」もあります。生憎午後からは雨となりましたが、しっとりとした紅葉の情緒を楽しまれた一行でした。

渡岸寺観音堂 国宝十一面観音様は安らぎと癒しの旅にまず拝観すべき立ち寄り所です。この入口近くにも野神の巨木があります(写真は14日のものです)
柏原(かしはら)集落の八幡神社のケヤキの古木 この生命力、圧倒される存在感は畏敬の念さえ抱かれます
雨森(あめのもり)集落の天川命神社の大イチョウ 全体を写真に収めるのも大変
雨森芳洲庵での研修 この集落で生まれた雨森芳洲は対馬藩の藩士として日朝関係の外交に深く関わりました。ここではいろいろなエピソードについても解説していただけます。
井口(いのくち)集落の日吉神社境内の紅葉 生憎雨となりましたが、しっとりした情緒も味わえるひと時でした

11月5日 小谷城が賑わっています

本日より小谷城シャトルバスが運行されました。運行日は11月5日、6日、12日、13日、19日、20日、23日の7日間です。運行日には城内の各所でボランティアガイドがご案内しています。初日の今日は地元の小谷小学校の子供たちも案内しました。爽やかな秋晴れの中、歴史好きの方、トレッキングの方、家族連れの方もそれぞれ紅葉の小谷城を楽しまれています。ぜひお越しください。

桜馬場跡 大河ドラマ「江 姫たちの戦国」ロケの中心地 琵琶湖、竹生島、山本山が一望できます
大広間跡 浅井長政一家が居住したとされる城内最大の曲輪跡です
姉川合戦古戦場を望む 小谷城攻防戦に先立つ合戦場です
虎御前山を望む 小谷城攻防戦では織田信長方の砦と対峙した場所です

11月3日 JRハイキング「峠越えで余呉湖の尾根を一周」が大盛況でした

余呉湖を取り巻く尾根をぐるりと一周する約11キロメートルのハイキングに50名を超える参加者で盛況でした。コースは余呉駅からスタート、まずビジターセンターの賤ケ岳合戦図で戦況を概観した後、権現峠を目指しました。ここから尾根伝いに、大平良山、飯浦切通しを経て賤ケ岳山頂へ。山頂では定点ガイドによる合戦の解説を聞き、大岩山砦、岩崎山砦跡へ下って、予定通り無事余呉駅に帰着しました。木々も色づき始めたコースに健脚の面々による賑やかな戦跡巡りのハイキングでした。

ビジターセンターの賤ケ岳合戦図の前で記念撮影
合戦図でコースと戦況を概観
尾根道を歩きます

10月30日 城巡りのシニアグループをご案内しました

連日好天続きの中、元気なシニアグループを2か所の山城址にご案内しました。賤ケ岳合戦の秀吉方最前線基地の堂木山砦と柴田方の最初の本陣玄蕃尾城です。砦好きの皆さんはよく残る遺構に感心され、特に玄蕃尾城では深い空堀に入って「まるで迷路のよう」と感動しきり。付近の山は紅葉が始まり、明るい日差しに色も鮮やかでした。前日は観音寺城と安土城を踏破され、翌日は丸岡城と一乗谷の予定とかで楽しい歴史旅になりそうですね。

DISCOVER WEST ハイキング のご案内

JR西日本管内のハイキング「地元ガイドとまち歩き」をご紹介します。当ガイド協会では、①「小谷城下の郡上~伊部をぶらり」と②「余呉湖の自然と歴史を満喫」の二つのコースをご用意しています。①は北陸本線河毛駅午前10時30分出発、②は余呉駅10時40分出発です。11月はどちらも毎週土曜日と日曜日にガイドがお待ちしています。事前予約不要ですので、ぶらりとお立ち寄りください。

①「小谷城下の郡上~伊部をぶらり」

戦国大名の浅井家三代の居城小谷城下にはかつては盛大な城下町が形成されていました。今では一帯が水田下に埋もれていますが、そこかしこに残る遺構をご案内します。江戸時代の宿場町の雰囲気がよく残る伊部本陣跡も見どころです。

小谷城入口のモニュメント
河毛駅前の長政公とお市様の仲睦まじいお二人がお迎えします
ハイキングの様子です 小谷城下のこの道の奥は浅井家臣団の屋敷跡、その奥は大嶽(おおずく)、城の頂上です。このハイキングは城へは登りません。

②「余呉湖の自然と歴史を満喫」

 余呉湖は三方を山に囲まれた静かな湖で、鏡湖の異名があります。一周約7キロメートルの平坦路のハイキングコースです。少しづつ木々も色づき、水鳥の数も増えてきました。冬を迎える前の静かなひと時を体感してください。

鏡湖の異名にふさわしい景色に出会えます

10月16日(日)第38回観音の里ふるさとまつり開催

長浜市高月町と周辺の湖北地域には観音様が数多く祀られています。その多くは普段は無住のお堂に祀られ、世話方により護持されていますのでいつでも拝観できるとは限りません。しかしこのふるさとまつりに合わせ各所で一斉にご開帳されというまたとない機会になりました。当ガイド協会でも各所の観音様を巡る周遊バスツァーにベテランガイドが添乗してご案内したほか、JRハイキングとして拝観ツアーを設定しました。当日は汗ばむほどの陽気でしたが好天に恵まれ、参加者の皆さんには魅力ある仏様との出会いの一日になりました。

高月駅前での受付 周遊バスツァーはAからDの四つのコースが準備され、どのコースも事前予約で満席になる盛況でした。

周遊バスツァー受付のガイドメンバー
高月駅前の賑わい

拝観の様子

地元の方々にお世話になりました

 

JRハイキング 観音霊場を訪ねるテクテク旅 こちらは木之本駅から出発して高月駅まで、途中四か寺を巡る約10キロの巡礼旅でした

拝観所ではガイドがご案内します
まさに巡礼街道を行く一行の姿です

JRハイキング 秋の風情を現地で楽しむひととき「栗狩り体験で秋本番を実感」しました

10月9日 急に秋めいたここ数日、栗狩りで秋本番を体感するハイキングでした。雨予報が出ている中、JR田村駅から出発、北陸道神田PAで昼食の後、隣接する神田溜(豊島池)で先人たちの苦労を偲び、神田まちづくりセンター(旧神田尋常小学校講堂)で昭和初期のレトロな建物を見学しました。そこからいよいよ栗畑に到着、ここでパラパラと小雨が混じる中、わいわいがやがやと栗拾いに夢中で袋一杯になったところで雨が強まりましたが、でもそこは天気予報で雨対策はバッチリの皆さんは満足一杯で田村駅への帰路につかれました。

神田溜(豊島池)この池は江戸時代の初め、干ばつに苦しむ地域を救うため幕府代官豊島作右衛門の指導の下に作られた農業用溜池です。池の畔には豊嶋神社も祀られ、オニバスの群生でも知られています。

神田まちづくりセンター 昭和10年築の旧神田尋常小学校講堂です。残念ながら耐震問題で来年には解体されるとか。

栗もたくさん拾えました

トピックス 9月22日観光ボランティアガイド協会の合同研修会が実施されました 

滋賀県には淡海観光ボランティアガイド連絡協議会があり、定例の交流研修会はコロナ禍で中止になっていましたが、この度ブロック研修会として3年振りの開催となりました。今回は当奥びわ湖観光ボランティアガイド協会の当番により、高月まちづくりセンターで「小谷城とその支城」と題した淡海歴史文化研究所所長太田浩司氏の講演会の後、現地研修として小谷城下に移動して「山城コース」と「城下町コース」の二手に分かれて周辺の歴史を学びました。参加者は湖東、米原、長浜、奥びわの各ボランティアガイド協会員約80名、両コースのご案内役は当ガイド協会のベテランガイドが担当しました。

太田所長の講演概要  小谷城に関係する支城の役割とその武将達の動向について解説され、強い城とは城の構造の良し悪しより武将の戦う姿勢による、即ち「人は石垣、人は城」であったと話されたのが印象的でした。

山城コース  2班に分かれて、中島城、丁野(ようの)山城、谷田神社(旧弥勒寺)を巡りました。中島城は浅井家臣が、丁野山城は朝倉家臣団が守備したと伝わり、小谷城につながる浅井朝倉軍の防御ラインでした。旧弥勒寺は浅井亮政ゆかりの仏像が伝わりますが、後の豊臣家にも庇護されました。

中島城址にて
丁野山城址にて
谷田神社(旧弥勒寺)

城下町コース  こちらも2班に分かれて、小谷城隆盛時代の城下町跡と街道筋の宿場、小谷寺を巡りました。現在一面の水田の下には城下町の様々な遺構が埋もれているとの説明や琵琶湖水運につながる船着き場があったことには驚きです。江戸時代の宿場町伊部では普段は公開されない本陣屋敷を見学でき、現ご当主のご説明と更に料理研究家の奥様お手間入りの小谷寺ゆかりの甘酒までごちそうになりました。この屋敷の維持管理が大変だそうで、小谷寺も古刹ではありますが老朽化が激しく、本堂再建を目指して協賛金の協力を仰ぐ奉賛会を立ち上げられました。どちらも応援したいものです。 

小谷寺
伊部本陣前にて 現ご当主様と

JRハイキング 隠れ里の石仏と安産腹帯観音を巡る

前日までの残暑が一服して薄曇りの涼しい風の吹く中、心地よいハイキングとなりました。奥琵琶湖の最北端、長浜市西浅井町黒山の摩崖仏、石仏群から隣町の大浦の腹帯観音と琵琶湖船運の歴史を伝える丸子舟の館を訪ねました。摩崖仏は鎌倉時代後期の作と伝わり、街道筋の厚い信仰が偲ばれます。一方、石仏群は賤ヶ岳合戦の柴田方の武将達は初めから敗戦を予感して密かに家族をここに住まわせ、その武将達の墓地とされるもの悲しい言い伝えがあります。十一面腹帯観音様は数奇な運命を辿られ、戦国時代の戦禍を避けるため村人達は池に仏様を沈めてお守りしたのですが、忘れられたまま100年近くたってから引き揚げられました。近年にはお堂から窃盗団により盗難にあったのですが、数年後に奇跡的に無傷で戻られ、今は地元の世話方により大切にお祀りされています。

道端に佇まれる摩崖仏 道行く人々は安全を祈ったのでしょうか

石仏群と由来書き ご案内するのはベテランガイドです

十一面腹帯観音様 安産の祈願に腹帯を奉納して祈祷を受けます。美智子上皇后が今上天皇陛下をご懐妊の時には腹帯を祈祷して献上されました。そんなことで、「西浅井・にしあざい」に「ん」の字を入れると「妊娠安産」の町となります!!