季節外れの陽気とはいえ好天に恵まれ、樹齢1000年の「奇樹」ともいえる「逆さ杉」を目指して山中に分け入った参加者は12名。この木は幾つかの寺院跡が点在する古代の己高山仏教文化圏の中にあります。バス停からまず式内社の神前(かみさき)神社鳥居前へ。この神社もかつては神仏習合の時代には寺院に関係していました。次に石道(しゃくどう)寺を左に見て小休止。この寺は明治29年の山津波により損壊したため大正3年に現在地に移転されました。その旧跡を見学していよいよ逆さ杉のある旧高尾寺跡へ登山開始。標高差370メートルの急坂の連続で何回か休憩を取りながら、あえぎあえぎたどり着いたその目の前に、周辺の木々を圧倒して力強く聳え立つ逆さ杉。その圧倒的な立ち姿にしばし呆然とするも、たちまち歓声が上がり、道中の苦も忘れて満足感に浸られた瞬間でした。逆さ杉の伝説は名刹鶏足寺を訪れた伝教大師最澄が、帰りに高尾寺を参拝し、近くの小さな祠の前で杉の枝を1本折って玉串を作り地面に立てたところ、その枝は不思議なことにスクスクと成長して立派な木に成長。その枝ぶりはまるで根っこの様に逞しく見えるようになったので、いつの頃からか村人に逆さ杉と呼ばれるようになったと言われています。昼食後、己高山の西尾根の合流点迄登り旧飯福寺へ下山。きつい下りながらようやく林道に到着しホッと一息。紅葉には少し早いもののここは紅葉の名勝鶏足寺として知られ、その境内や参道を散策しながら古橋バス停に到着。ややきつい行程ではありましたが、参加者の皆さんは充足感一杯に元気に帰路に着かれました。
11月3日(金・祝)JRハイキング(好評の峠越えシリーズ)余呉湖の尾根をぐるっと一周 が大盛況でした
昨年は50名余の参加者で好評だったこの峠越えシリーズは、今年は更に76名となる大盛況でした。朝から汗ばむ陽気の好天の中、余呉駅を出発してまず余呉湖ビジターセンターの賤ケ岳合戦図で戦況の推移と行程の概要の説明を聞いていただく。そこからいよいよ権現峠を目指して山道へ。途中小休止を挟むだけで元気に登って頂きました。峠には名前の由来となった祭祀の名残の石灯篭もあって、往時の往来が偲ばれます。そこから尾根道を大平良山、公法寺山のピークへ。この辺りのモミジの林が少しずつ色づき始めた景色の中で昼食。午後は一気に賤ヶ岳山頂へ。絶景を楽しみ、定点観光ガイドの話も聞いていただき下山道へ。道中は合戦の最初の激戦地であり、秀吉方砦の大岩山砦、岩崎山砦の跡地でそれぞれ戦国を偲んでいただく。ここまでの行程の感想を伺うと、皆さん満足されて元気いっぱい、余力充分。そのため余呉駅へは予定より少し早めに到着し、京阪神方面の方々は一つ先の電車で帰路についていただけました。
10月15日(日)湖北観音巡礼シリーズ 第21弾 観音霊場を訪ねるテクテク旅
「第39回観音の里 ふるさとまつり」が15日長浜市北部地域で行われ、周遊バスツアーなどの予約は早くに埋まるなど大変な盛況で、当ガイド協会もバスに添乗してご案内するお手伝いをしました。この日は普段は開けられない各所のお堂が拝観できるとあって、当ガイド協会の巡礼シリーズも賑わう筈でしたが、バスの人気の煽りを受けて(?)参加者は8名と少なめだった半面、和気あいあいと楽しい旅になり大変喜ばれました。木ノ本駅からまずは唐川の唐喜山赤後寺へ。ここは千手観音と聖観音が祀られていて、賤ケ岳合戦では二体の尊像を赤川に沈めて戦乱から難を逃れたと伝わります。次に東高田の青陽山赤分寺へ。ここはハナノキという珍しいカエデ科の木があることでも知られ、本尊の十一面観世音菩薩は、最澄が赤川の底から拾い上げたと伝わります。他には地蔵菩薩と弁財天が祀られていて、3体ともとてもきれいな仏様です。最後に東物部の高喜山光明寺へ。ここの十一面観音菩薩も幾多の戦乱の兵火から難を逃れたと伝わります。天保年間には盗賊が入り本尊を村の外れまで運んだところで不思議にも大盤石のごとく動かれず、盗賊はそのままにして逃げ去ったという奇談も伝わります。道中では予定外の横山神社の馬頭観音にもお参りできる奇遇を得、さらに高月図書館の井上靖記念室を見学。氏の小説「星と祭」で湖北の観音様が一躍有名になった縁を偲びました。解散は門前市で賑わう高月駅ですが、参加の皆さんは更に近くの観音様拝観に向かわれるなど充実した巡礼旅の一日でした。
10月14日(土)JRハイキング (佐久間盛政(柴田勝家側)の砦跡へ)行市山から賤ケ岳古戦場を俯瞰する
賤ケ岳合戦の柴田勝家方砦跡は玄蕃尾城が有名ですが、今回は最終決戦場所でもある毛受兄弟を祀る墓所から猛将佐久間盛政が陣を置いた行市山砦までの柴田方主要ラインの尾根道を探索しました。途中には設置されたロープにつかまりながら登る急坂が一か所あるものの大体緩やかなよく整備された道です。遠方より早朝に出発されたご夫婦など30名余の砦ファンで賑わいました。行市山頂上からは麓の両軍の布陣地と己高山、小谷山や伊吹山なども遠望され佐久間盛政気分で景色を堪能しての昼食。柴田方のこのラインは強固な砦群ではあったのですが、賤ケ岳方面へ佐久間盛政が進軍し、その支援のため別所山砦の前田利家親子も進出したため両砦は使われることはありませんでした。戦局は佐久間隊の敗北と前田隊の撤退により柴田勝家の陣は総崩れとなり一気に敗色濃厚に。ここで毛受兄弟の身代わり作戦により勝家はかろうじて北ノ庄城へ敗走、という劇的な幕切れとなったのです。ファンの皆さんはその林谷山砦や中谷山砦など余すところなく探索し終え、予定通り路線バスで木ノ本駅に帰着しました。
10月8日(日)JRハイキング 「栗狩り体験で秋本番を実感しよう」 が盛況でした
猛暑の残暑も一転して湖北に北風が吹く季節となった3連休の中日、栗狩り体験を楽しむ京阪神方面から27名の参加者を得て坂田駅を出発。まず駅頭には戦国武将の仲睦まじい夫婦として知られる山内一豊、千代の像が立ち、近くの一豊公の母の墓所にも立ち寄り。ここにはその母がこの地で千代を見出した、との伝承が書かれています。そこから琵琶湖岸の道の駅「近江母の郷」で昼食。米原市は戯曲「瞼の母」で知られる番場の忠太郎の母の地でもありますので「母の郷」なのです。次は長沢の福田(ふくでん)寺へ。創立を古代に遡る由緒ある寺院ですが、一向一揆、元亀騒乱など戦乱の時代を耐え、江戸時代には彦根藩井伊家とも深い関りがありました。このような歴史散歩のあとお目当ての栗狩り園に到着。ここは皆さん童心に帰ってワイワガヤガヤと栗拾いで秋本番を堪能。手土産の栗も一杯に満足されて帰路につき田村駅に到着。なんとここで「湖北しぐれ」の雨。このタイミングまで見事に読んだ(?)気象予報士並みの先読みを自画自賛するガイドを尻目に、皆さんは「ラッキー、ラッキー」と喜んでそれぞれの帰途に着かれました。(この栗園はガイドの私園で営業を目的にした施設ではありません)
9月28日(金)トピックス 木之本町大音の歴史探訪研修を行いました
奥びわ湖ボランティアガイド協会では、各種の研修を通じてガイド能力や見識向上のための取り組みを行っています。今回は研修部会の主催により、木之本町大音の地元発見の探索を行いました。ここは賤ケ岳リフト乗り場で知られていますが、式内社伊香具神社を主に、古い歴史を秘めた集落です。集落の裏山一帯はかつて寺院や神社が栄えたと伝わる聖地で、今は林の中にその跡地などが点在しています。まず廃寺となった浄明寺の諸仏が祀られている大日堂を拝観、そこから浄明寺跡地と意太(おふと)神社へ。この神社は小さな社ではありますが、大音(おおと)の地名起源とも言われる式内社です。この後一宮神社や野神信仰の地を探索し最後は式内社の伊香具神社に参拝した歴史探訪でした。
9月23日(土) 奥びわ湖ハイキング(小谷城攻防戦に迫る)「虎御前山城と丁野山城を探訪」
お彼岸を迎え連日の猛暑も一服して涼風の吹く絶好のハイキング日和となり、参加者15名で河毛駅をスタート。今回は小谷城攻防戦の前哨戦の陣地巡りで、まずは虎御前山へ。ここは織田信長が小谷城を攻めるために築いた砦で、信長、秀吉や堀秀政などの陣跡が残り、堀切、竪堀、土塁、切り岸、帯郭、犬走り、かざし堀、くい違い虎口などを確認。その後、虎御前山を下りて小谷城戦国歴史資料館で昼食。午後は小谷城下の郡上宿を通り抜け丁野(ようの)山へ。ここには浅井方の中島直親が守備した中島城跡があり、主郭が周囲を高い土塁で囲まれた様子がよく残ります。その後、尾根道を伝い丁野山城跡へ。ここは朝倉方の越前玉泉坊が守備した所。西側は高時川に守られ、周囲を横堀りと犬走りを配しており堅固な城であったことが窺えます。主郭は土塁を使用しない特異な形状を保ち、北国街道と北国脇往還をにらみ、山本山城~丁野山城~小谷城の防御ラインの要であったことが見て取れ、朝倉方の巧みな築城技術が活かされていると言われます。この行程は攻める側(信長)と守る側(浅井・朝倉)の両方の陣跡を踏破したハイキングとなり、皆さん満足された一日となりました。
9月21日(木)トピックス 淡海ボランティアガイド連絡協議会 湖北ブロック交流研修会がありました
長浜、米原、奥びわ湖の湖北の3つのボランティアガイド協会の交流研修会があり、70名余の会員が集いました。今回はNPO法人長浜観光ボランタリーガイド協会の当番で会場は長浜市街地です。まず全体会として曳山博物館で開会式と長浜城歴史博物館福井館長の「秀吉が造った長浜城下町と城下町遺産」と題した講演会で事前学習。今年は長浜開町450年として各種のイベントが行われています。講演会の内容はまさにこれにピッタリで、戦国時代の長浜の姿を頭に入れて、次は4つのコースに分かれて市街地に出発です。戦国時代の遺構や明治から昭和までの歴史建造物などを見学。黒壁界隈の賑わいに加え、曳山蔵の内部見学など貴重な体験も。道中は地元のガイドさん達の丁寧な案内で、心配された雨もなく大変有意義な研修を終えることが出来ました。
9月17日(日)JRハイキング 横山岳の前衛峰 秀峰 墓谷山へ
今回は初めての企画で、近年登山愛好家で賑わっている秀峰横山岳(1132メートル)の麓、木之本町杉野界隈の探索ハイキングです。地元の杉野地区では「横山岳を守る会」を中心に保全活動に尽力されていて、このハイキングには守る会前会長の二宮さんのご案内や「おもてなし」により意義深い探索が出来ました。この辺りも山岳仏教盛んな頃の寺院が山中に残っています。その一つが標高約330メートルの山中に位置する南罫寺。平安初期に最澄自ら千手観音像を彫刻し、堂宇を建立、大亀山南罫寺と号したと伝えられています。最盛期には48の僧坊が立ち並ぶ大寺院であったとのこと。ここから墓谷山へと昇る筈が危険なため断念して杉野集落に戻り、まず江戸末期から続く料理旅館の「長治庵」を訪問。ここは杉野に残る唯一のかやぶき民家の伊香式住宅を利用した料亭です。この母屋を見学させていただき、参加者の皆さんは昔ながらの間取りなど生活の様子を想像して興味津々の様子。次に、県指定有形文化財建造物になっている福王寺へ。ここは薬師堂とも言われ、毎年2月には五穀豊穣と村の無事を祈願する湖北地方特有の祭りである「おこない」が行われる信仰の場でもあります。そこから網谷林道を歩いて白谷登山口へ。ここが横山岳登山口のメインゲートで、立派な山小屋もあり、ここで何と軽トラックで先回りして、椅子の準備やお手間いりの梅干し、ミョウガ、ジャガイモの煮つけと心遣いいただいての昼食。横山岳の歴史、お花などの説明、山開きに来ていただいた田部井淳子さんや田中陽希さんとのエピソード等をお話頂きました。差し入れの珍しいお惣菜に皆さん笑顔で疲れも忘れるひと時となりました。昼食後も集落の歴史的建造物などあちこちを見学して帰路に着きましたが、一部の方は今度は横山岳に登ってみたいとの希望も。ぜひ頑張ってください。
9月10日(日)奥びわ湖ハイキング (越前近江国境に聳える城跡へ)秘境の玄蕃尾城跡で栄枯を偲ぶ
残暑厳しいとはいうものの着実に秋の気配も感じられる朝、柳ケ瀬バス停に降り立たれたのは滋賀県南部や京阪神方面に加え、柴田勝家の出身地尾張からの熱烈なファンなど総勢19名の皆さん。国道365号線の旧北国街道から越前刀根越えの旧道を進み、この道を明治天皇と明治新政府の要人達が巡幸されたとの説明に暫し当時に想いを馳せ、いよいよ倉坂峠から城跡へ到着。高い土塁、深い堀など往時の姿をよく残し、整備の行き届いた広い城跡に感嘆の声。散策の道すがらここにお市の方や三姉妹も立ち寄ったかも知れないとロマンに浸られる方もあり、好天のもと楽しく440年前の歴史を偲んでいただきました。下山後は柳ケ瀬の関所跡で江戸時代の建物を見学、ここは明治天皇の行在所ともなり、戦国から近代への歴史散歩の一日でもありました。