8月5日(土)長浜と大阪の子供会交流会のお手伝いをしました

余呉小学校(現余呉小中学校)と大阪市西淀川区姫里小学校は琵琶湖淀川水系の水源地と最流末という関係から、足掛け40年近くに及ぶ子供会交流会を続けておられます。毎年交互に招待し合いして交流するスタイルで、今回は賤ケ岳をメイン会場に余呉子供会が主催です。大音地区のお寺をお借りしての開会式の後、リフトで頂上へ。まず、(独)水資源機構のスタッフさんにより琵琶湖の水の役割などについて学習したあと、楽しいお弁当タイム。猛暑とは言え頂上は涼しい風により快適。昼食後は3班に分かれて私たち各ガイドが賤ケ岳合戦や小学生向けの余呉湖羽衣伝説などを解説。その後、大岩山砦や岩崎山砦などが連なる登山道を下山。道中は木陰と涼しい風の吹き上げで全員元気に歩き、途中の史蹟でのガイドや休憩を挟んで予定通り無事下山。猛暑が心配されましたが、涼しい風と主催者の皆さんの周到な準備と運営で無事楽しい交流会となり、私たちガイドについても大変喜んでいただきました。このようなイベントのお手伝いのガイドの一日でした。

開会式会場で
水資源機構のスタッフさんのお話を熱心に聞きました
大岩山砦で休憩と合戦の勉強 日陰と風で爽やかでした

7月23日(日)JRハイキング  賤ケ岳合戦における秀吉側の最前線 堂木山砦・神明山砦を巡る

猛暑の予報とは言え、京阪神方面からほぼ予定の33名の参加があり、余呉駅からまず堂木山砦を目指し緑の水田地帯を歩く。そこからやや緩やかな登山道を行くが、さすがにここで小休止。砦に着くと良く残る郭や土塁跡を熱心に探検。この砦は主戦場にはならなかったものの山路正邦の離反とその情報により膠着した戦局が大きく動いたことを解説。そこから尾根道を神明山砦へ歩を進める。この尾根道が意外にも木陰とそよ吹く風により快適で、「この涼しい風を持って帰りたい」との声も。この砦の主郭跡や堀切も深く保存状態は良好。ここで昼食とし、ここには黒田勘兵衛も布陣したことを示す秀吉の書状や黒田家発祥の歴史についても解説。ここから次に辿る前田利家布陣の茂山との関係では、当初進駐してきた前田隊に山路正邦は攻撃を仕掛けず、秀吉方から疑いをかけられたこと、更に余呉湖畔の激戦の最中、前田隊は戦線離脱を図るも秀吉方から激しい攻撃を受け苦戦、ここを殿(しんがり)として主君の退却を助けた横山喜隆の奮戦と戦死を偲んでいただく。峠道に至り小休止と記念撮影の後、川並集落へ続く山道を下山するがここはれっきとした県道であることにビックリされていた。下山後の余呉駅までの平坦な道のりが今度は酷暑そのもので、山道よりきつかったもののビジターセンターで冷たいものなどを補給して無事全員余呉駅に帰着しました。

堂木山砦跡を散策 しっかり残る土塁に感動
水田地帯を行く 後方が神明山砦
神明山砦跡で秀吉書状などを解説
茂山の戦陣跡 ここからの前田利家隊の退却は容易ではありませんでした
峠道にたどり着き記念撮影

追録 登山道の内、送電塔下は草が繁茂して通行が困難のため事前に草刈りをしました

ガイドの有志で草刈りを行い道を確保
身の丈も隠れるほどの草で登山道も見えません

7月15日(土)JRハイキング 浅井、朝倉VS信長、家康の激突地へ   姉川土手を歩き姉川古戦場をめぐる

今回のハイキングコースは大河ドラマでも放送されたばかりの「姉川の合戦」地巡りと連休初日ともなり、京阪神方面に加え中京方面からの参加者もあって総勢29名で虎姫駅を出発。途中土手に咲く花々では牧野博士張りの詳しい参加者の解説があってにぎやかに最初の経由地である国友鉄砲の里へ到着。そこから葉桜並木の道を進み、家康軍と朝倉軍が激戦を交えたちはら公園で昼食となり、ここでは家康は本当に浅井方へ着こうとしていたのかなどドラマの話題も。午後は強い日差しとなるも姉川合戦跡碑前で集合記念撮影、家康本陣の岡山から信長本陣の陣杭の柳へと歩を進める。浅井方の猛将遠藤喜右衛門の墓で激戦を偲び、そこから茶臼山古墳のある竹ヶ鼻から古戦場一帯を眺めた後、バス停のある北郷里まちづくりセンターへ到着し長浜駅へ。車内では当時と同じ猛暑日の戦国体験から現実に戻り、約11キロメートルの行程を振り返っておられました。

国友町 鉄砲の里としての街の景観です
姉川土手から小谷城方面を望む
ちはら公園にて 地名起源は血原とも 激戦地ゆかりの地名も多くあります
姉川古戦場の碑で記念撮影 猛暑も何のその大満足の皆さん
家康公ゆかりの岡山の大杉 家康公勝利の後は勝山とも言われるように
目指すは茶臼山 前方後円墳に見える後方の山
野村橋を渡る ここらあたりも激戦地
茶臼山から戦場一帯を見渡す
遠藤喜右衛門の墓所 敵陣深く突入した北の猛将

6月25日(日)JRハイキング「賤ケ岳合戦と伝統産業(糸取り)を学ぶ

心配された天気も、梅雨の間の晴れ間に恵まれて京阪神や守山、彦根など県南部からの25名の参加で木之本駅をスタートし、賤ケ岳山麓の大音集落を目指す。集落の佃工房は蚕の繭から生糸を取り出す伝統産業「糸取り」の貴重な伝承工房です。この糸取りの実演が大変珍しく、あざやかな手さばきに参加者の皆さんは覗き込んだり、湯に手を入れたり繭に触れたりと興味津々でした。このあと登山リフトで賤ケ岳山頂へ登り、昼食。散策後は2班に分かれて賤ケ岳合戦の解説を聞いていただき、再びリフトで下山。伊香具神社で由来や伝説に触れていただき、黒田の集落を目指す。ここは福岡藩の黒田家発祥の地と言われ、黒田家御廟所では大河ドラマ「軍師・黒田官兵衛」の年は10万人の来訪者があったとの話に感心されていました。そのあと無事木之本駅に到着、解散となりました。

糸取りの実演に興味津々
頂上で記念撮影 見晴らしも上々でした
糸取りの様子が見学できます 
賤ケ岳登山リフト乗り場

6月17日(土)JRハイキング 賤ケ岳から余呉湖畔を歩きアジサイを楽しむ

日中には猛暑となる予報でしたが快晴の天気に恵まれ、京阪神や県南部から総勢40名の参加者は高月駅からまずは平坦路で西野水道を目指してスタート。史跡公園で先人の偉業を学んだ後はいよいよ山道へ。木戸坂の上り口では重い米俵などの物資を峠を越えて琵琶湖畔まで人力で運んだ名残の地でここでも昔の人々の苦労を偲びました。尾根道は古保利古墳群の脇を抜けるものでそこかしこに墳丘を確認しながら、涼しい木陰で昼食。西野山、丸山のピークを越えて、いよいよ賤ケ岳へ到着。ここで合戦の模様と大展望を楽しまれた後、切通を経て余呉湖畔へ下山。湖畔道では満開のアジサイ園を楽しまれ、湖からの涼風に癒されながら予定どおり余呉駅へ。約13キロメートルの長い道のりでしたが、家康の言葉、「人の一生は重き荷を背負い遠き道を行くが如し」を思い浮かべた一日でした、と感想を述べられた方に多くの方がうなずいておられました。

西野水道史跡公園で江戸時代の偉業を学ぶ
史蹟の案内板へ 後方の山の尾根を歩きます
木戸坂の上り口 ここから古墳群へ
向うに賤ケ岳の山頂が見えてきました
賤ケ岳山頂で記念撮影
余呉湖アジサイ園の湖畔道
山頂から余呉湖方面を望む

6月13日(火)トピックス 校外学習などのお手伝いをしました

木之本中学校では例年地元街中の校外学習で地域との関りや地域の歴史の学習を進めておられ、今年も新一年生約40名の生徒さんが7つのグループに分かれて北国街道木之本宿を探索され、7名でそのガイドをさせていただきました。山内一豊が名馬を求めた牛馬市、大名が泊まった本陣跡、近代の養蚕技術など戦国時代からの歴史が残る街に、生徒さんたちははたしてどの箇所に興味を持たれたのか気になるところですが、今どきの学校現場は記録、レポートをタブレットで行うためそこかしこで写真に収めていました。どんなレポートが出来上がるのでしょうか。話は別ですが、これに先立ち、6月7日には滋賀県レイカディア大学の城郭探訪OB会のシニアグループが賤ケ岳を訪ねられ、頂上での合戦ガイドに大変満足されたとのことで、わざわざお礼のメールをいただきました。このような学習のお手伝いも私たちの役割として取り組んでいます。

木之本交遊館で出発式
暑い中も裏道まで元気に探索
江北図書館前で
レイカディア大学の方々 賤ケ岳山頂で熱心にガイドの説明を聞いていただく城郭探訪OB会
 「素晴らしいガイドで参加者たちは大満足」とのお言葉とこの写真を頂きました

6月10日(土)JRハイキング 落城の小谷城跡を探訪しよう「月所丸」

今年は長浜開町450年としていろいろなイベントが行われます。羽柴秀吉による長浜開町はまた小谷城落城の時でもあります。そこで浅井長政公没450年事業の一環として、JRハイキングで小谷城跡、特に今回は月所丸を探訪しました。月所丸は山続きに越前へつながる「越前忍道」の途中にあり、落城時にお市、茶々・初・江が脱出した道とも伝わります。蒸し暑い日でしたが、京阪神等遠方からも含め25名の参加となりました。小谷城は石垣の城でしたが、その多くは落城後に破壊されたものの黒金御門や山王丸の東側には見事な野面積みの石垣がそのまま残っています。月所丸は小谷山の北面からの侵入を阻止するための砦で見事な遺構が見られます。近江では数少ない畝状の堀、高い土塁と尾根筋を切断する巨大な二重堀切があり、朝倉氏の増築の可能性があります。参加者の皆さんは高い土塁から二重の堀切を眺めようと盛んに動き廻っておられました。その後清水谷コースで全員が無事に御屋敷跡へ下山。この居館は浅井氏当主の屋敷であり、京極氏親子や将軍足利義昭を饗応した場所と考えられます。最近では公的な居館は下で、三姉妹などは山上で暮らしていたという考えも出されています。皆さん浅井長政やお市に思いを馳せて、ハイキングを楽しんでいただきました。

山王丸に残る野面積みの石垣 往時を偲ぶに十分な迫力です
月所丸の畝状堀と二重堀切での解説 山城ファンには見逃せない場所です
あちこち確認して回る参加の皆さん
御屋敷跡へ下山 お市様や三姉妹の行く末に思いが巡ります

6月4日(日) JRハイキング (ササユリとコアジサイの群落に酔う)山門水源の森が輝く季節 が賑わいました

梅雨入りしたとは言え爽やかな初夏のハイキング日和、山門水源の森が最も輝く季節に京阪神から38名の参加がありました。この森は永原駅から約7Kmの距離にありますが、皆さん足取りも軽やかに到着。環境保全のため靴底を水で洗い、環境整備協力金200円を箱に納めていよいよ入山。この森は昭和35年頃までは炭や薪を作るために利用されていた里山でしたが、泥炭層の湿原で氷河期からの生き残りであるミツガシワ等貴重な植物が生育していることで知られていました。一時湿原が失われる危機に見舞われましたが、環境保全活動により今では「山門水源の森を次の世代に引き継ぐ会」が湿原の再生、復元の保全活動をされています。その取組みが実って徐々に植栽も回復して、入口でもササユリとコアジサイが出迎えてくれますます期待感が高まりました。森の学舎で昼食、すぐ横にある付属湿地にはサワランやトキソウ、日本一小さいハッチョウトンボも見ることができました。渓流横の散策路を進むと、ここでもササユリが彩り、いよいよ山門湿原の南部湿原に到着すると、ササユリとコアジサイの群落が満開状態で、モリアオガエルの卵塊もあちこちに見ることができました。参加者の皆さんは、「スゴイ、スゴイ」と言いながら盛んにシャッターを押しておられました。

ササユリがあちこちに咲いてます
ネットは鹿の食害除けです
爽やかな日差し 期待もふくらみ入山
湿原には貴重な生態系が見られます
ハッチョウトンボ 大きさは20ミリ以下
ササユリとコアジサイの共演

トピックス 6月7日(水)淡海観光ボランティアガイド連絡協議会の交流研修会がありました

滋賀県下の観光ボランティアガイド協会員が一堂に会して行う交流研修会が久しぶりに行われました。今回は東近江ブロックの近江八幡市と安土町の観光ボランティアガイド協会の主催です。参加者は400名を超える盛況で、開会式の後は6つのコースに分かれての現地研修に移り、①商人、②秀次、③ヴォーリズ、④朝鮮通信使、⑤武佐宿、⑥安土城下町のコースで、各コースとも15名程度の小班に分かれて地元のガイドの方に案内していただきました。現地研修の後は班別の情報交換などの交流会で締め括りとなりましたが、この間、大勢の参加者の移動もスムーズで、主催者のご尽力には大変感服いたしました。コロナ禍明けで県内への観光客の復活が期待される中、各ボランティアガイド協会も有意義な旅のお手伝いが出来るよう研鑽と情報交換、連携が大切であることを改めて確認し合いました。

開会式会場の盛況ぶり
大会会場入口
八幡堀を見学 映画のロケ地としても有名です
商人コースの研修の様子
武佐宿コース 中山道の宿場でした
武佐宿本陣跡

5月27日(土) 奥びわ湖ハイキング (若葉の自然林を歩く)山岳寺院跡と静かな尾根歩きで一等三角点へ

前日の天気と打って変わって汗ばむ暑さの中、菅山寺跡から尾根を歩きました。先日の己高山の寺院跡ハイキングに続いて、もう一つの山岳寺院の菅山寺跡も人気のスポットです。神戸、芦屋など京阪神方面から早朝に出発されたハイキングファン19名の参加で賑やかに余呉駅を出発。坂口の登山口では江戸時代の参拝者や旅人たちがこぞって買い求めたという菊水飴を手に大鳥居をくぐり、参道に点在する弘法大師像を道案内に急坂を登りきると見返り峠の眺望と涼しい風に癒され一休み。菅山寺は朽ちかけたお堂が点在する寺院跡ではありますが、一方で自然豊かな環境も人気の秘密です。ブナ林に響くクマゲラの木をつつく軽やかな音、ハルゼミの声にモリアオガエルの卵。アカシヨウビンなど希少な鳥を探すバードウォッチャーのグループも。昼食後は青葉の木洩れ日の尾根道を一等三角点の呉枯(くれか)峰を経て、木之本の街に下山。ソフトクリームで一息入れたりお土産物などを手に木之本駅からそれぞれの帰路に着かれました。

参道の弘法大師様の像にお導きされて
坂中地蔵で一休み
朱雀池へ バードウォッチャーの邪魔をしないように
大箕山菅山寺は元龍頭山大箕寺と言いました その由来の龍頭岩
絡みつく木の根がオロチにも見えます
ギンリョウソウ ユウレイタケとも これを見逃さない人はさすがです
菅公お手植えと伝わるケヤキの山門前で
この三角点で一休み 町はもう少し先
呉枯峰の三角点(標高532m)